『阿部定事件』を直接知る人はもう数少ない 昭和の大事件現場を歩く|八木澤高明

2018年05月16日 事件現場 八木澤高明 神田 阿部定事件

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abesada.jpeg阿部定が生まれ育った街・神田(筆者撮影)


 JR神田駅から歩いて10分ほど、オフィスビルが建ちならぶ町のところどころに昭和の匂いを感じさせる木造家屋が、ぽつりぽつりと建っている。私が歩いていたのは、神田多町。町名の由来は、江戸時代初期に遡る。今ではまったく想像できないが、その昔この辺りには水田が広がっていたことから、田町と呼ばれていて、いつしか田も埋め立てられ表記も多町となったという。

 ここ多町は戦前の日本を騒がせ、妖婦と呼ばれた女が生まれ育った土地である。女の名前は阿部定。明治38(1905)年5月28日に生を受けた。

 当時の多町周辺は、職人とその家族が住む長屋が建ち並んでいたという。多分にもれず、阿部定の父親の稼業は畳職人。腕の良い職人で、常時5、6人の職人を雇い、商売は繁盛していた。

 明治31年の調査によれば、神田は東京都内では浅草に継いで、細民と呼ばれた人力車引きが住む町であり、都内有数の人口密集地域であった。狭い地域に多くの人口を抱えた神田では、現在ではインドや東南アジアの風土病で日本とはまった縁が無いと思われているコレラの一大発生地でもあった。明治15年には、神田と芝を合わせて5千人を越える死者を出している。政府が衛生環境を整えるため、東京で初めて、下水道を整備したのもここ神田でもある。

 現在の神田はオフィス街であり、生活の匂いは希薄なである。阿部定が暮した頃の神田の面影は勿論無い。阿部定のことを直接知る人物は、いないか何件か聞き込みをすると、彼女が生まれたばかりの頃、祖母が乳をあげたという50代の男性に出会った。

「ウチのオヤジと乳飲み兄弟って聞いてますよ。ウチの婆さんってのが、9人も子供を生んでいるから、おっぱいの出が良くてね。阿部定のお母さんってのは、あまり子育てができない人だったようで、おっぱいの出も良くなかったんだろうね。ウチの祖母が代わりにおっぱいをあげてたそうだよ」

 乳飲み兄弟なる日本語を、恥ずかしながら初めて知った。今ではそんな習慣は失われ、言葉そのものが辞典の中だけに残る時代も近いだろう。
 今の神田からは想像できない、人情味豊かな人と人との繋がりが、この町にはあった。神田が大きく変っていったのは、1960年代だという。それまでは、月に3日縁日があり、人通りが絶えず賑やかだった。今では、通りを行くのは車ばかりで、人通りはほとんどない。

 神田をあとにして、阿部定が不倫相手の性器を切断した荒川区尾久に足を運んだ。尾久三業地と呼ばれた歓楽街は、住宅街になっていた。面影を留めているのは、当時連れ込み旅館だった民家だけだ。

 阿部定事件が起きた時、この尾久三業地で、芸者の見習いをしていた女性(83歳)に話を聞いた。

「当時、12~3歳ぐらいだったかね。この通りに新聞社の車がだーっと並んじゃってね。新聞社からの電話が鳴りっぱなし。あの頃、人殺しなんて無かったから、大変だったんだよ」

 阿部定が生きた時代から、神田にしろ、尾久にしろ、町や人の生活は大きく変った。それと同時に少年犯罪や凶悪犯罪が頻発している昨今。昭和はますます遠くなった。(取材・文◎八木澤高明)

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