僕はなぜマスクをつけるのか│久田将義

アベノマスクはしなかったです(撮影・編集部)

そろそろ夏だなと思う時期になりました。マスク生活は二年目に突入。汗っかきの僕にとっては最悪の季節。二回目の夏になりますね。知り合いの編集者と電話で「前に飲んだのいつだっけ」。西麻布にあるラウンジで「コロナなんだって。マスクつけた方がいいのかな」などとマスク無しで距離を取って、会話をしたのは憶えています。あの頃はまだマシでした。いい加減にして欲しいとやり場のない怒りを抱きつつ、マスクを捨てる事はせずつけています。

僕は「分断」は非常に残念だと思う派です、特に日本人同士が。意見の違いがあるのは、分かります。ただそれが、お互いに攻撃的になり、敵認定するのは本来避けるべきものだと考えています。そこに意義を見出せません。
マスクつける派とマスクをつけない派の分断は非常に残念に思います。僕はつける派です。ただ、つけない派を攻撃しようとも思いません。なぜなら、その苛立ちが分かるから。僕もつけたくないです。昨年の夏は人通りがいない場所では取って、歩いていました。下手すると熱中症になりますから。

でも、マスクをつけるのはなぜでしょう。

メディアを通じての、医学者・専門家たちの話を聞いていると、どうやらマスクをしていた方が感染が防げる「らしい」。人類初めてのウィルス災害な訳だから断定がなかなか出来ず、全てが未体験なので、この新型コロナに対するものは「らしい」という表現で我々一般人は捉えるのが、妥当かと思います(専門家は違いますよ)。つまり、全てが「らしい」という可能性で論じざるを得ないような気がします。と、いう風にメディアの末席を汚す身としての僕は考えています。

1m以内に人がいる状態を密と言われ感染の恐れがある。これも「らしい」。分かり始めている事は人から人へ飛沫感染をする。これは確実「らしい」。

飲食店が諸悪の根源のように語られていますが、それはアクリル板の設置、換気、人と人の間を離す。これで感染は防げる「らしい」との事。これはハッキリとした根拠が示されているのかどうか。ただ、密よりは「何となく」安心する自分がいます。

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