筑波大学女子大生殺害事件 夢に満ちた女性の学生生活は72時間で幕を閉じた|八木澤高明

tsukuba.jpg地元の人間しか知らないような遺体遺棄現場(筆者撮影)

 筑波大学に入学したばかりの女子大生が忽然と姿を消したのは、今から20年近く前、1999年4月10日のことだった。

 彼女の名前は川又智美さん。年齢は19歳。その日、新入生を歓迎するコンパが行われ、彼女も出席する予定だった。ところが当日の午後5時半ごろになって、彼女は同級生に断りの電話を入れた。

「イタリア人と食事に行くから、コンパにはいけない」

 その後、彼女は当時暮していた筑波大学の学生宿を出た。その電話から30分後、長身の外国人の男と歩いているのを目撃されたのを最後に行方がわからなくなったのだった。

 行方がわからなくなる3日前にも川俣さんは、大学の近くでイタリア人に話しかけられたと、同級生に話していたことから、警察は最後に一緒に歩いているとこを目撃された外国人の男性か、彼女に話しかけた外国人男性が何らかの事情を知っているとみて、筑波大学のイタリア人留学生全員を調べた。

 ところが、大学の中に該当する者はいなかった。その当時、筑波大学周辺では、女子大学生が外国人に声をかけられるというケースが十件ほどあった。犯人は留学生を名乗った、付近に住む外国人の可能性も考えられた。外国人が事件の鍵を握っていることは間違いないのだが、捜査はすぐに暗礁にのりあげた。

 そして、行方がわからなくなってから、約3週間が過ぎた5月3日、彼女の遺体が発見された。発見当時、遺体は靴下にパンティーだけを身につけ、首にはブラジャーが巻き付けられていた状態だった。靴下を履いているなどの遺体の状況から、彼女は他の場所で殺害され、遺棄されたと推定された。

土地勘がなければ来ることさえできない場所

 私は彼女の遺体が発見された現場を歩いてみた。そこは田園地帯の雑木林の中だった。

「普段から地元の人間ぐらいしか来ないところだからな。まさかこんなところで事件が起きるとは思わなかったよ」

 遺体が発見された茨城県つくば市高田の林からほど近い場所に暮らす男性が言う。
 川俣さんの死体が遺棄された現場は、彼女が最後に目撃された筑波大学の周辺から車で走って30分ほどの時間がかかる場所だった。

 現場を歩いてみて感じたのは、たかが数年の間暮らした人間が辿り着くことはできず、間違いなく、この土地に長くらした人間でないと、まず足を運ぶことがない土地である。そうなると、留学生がこの事件に関わった可能性は低いのではないか。私は現場を見て、そう思わずにはいられなかった。 

 もし犯人が外国人であるならば、ある程度の年数この周辺に暮らした人間である可能性が高いのではないか。

 当時、つくば市内には、正規に登録された外国人だけで5580人、その数字に不法滞在の者は含まれていない。土地から土地へと流れていく、不法滞在の外国人をすべて調べ上げることも難しく、捜査は行き詰まってしまったのだった。

 川俣さんの希望に満ちた大学生活はわずか、3日で終わってしまった。無残な死体となって発見された川俣さんの無念を晴らすのは、犯人逮捕以外にないのだが、その手がかりは杳として掴めない。(取材・文◎八木澤高明)