【奇怪な歴史】平安京にも勝る風水思想が…怨霊を封印した超常都市としての新宿
多くの人が行き交う街 “新宿”。皆さんはこの街が東京の最重要スピリチュアルスポットということをご存知だろうか?
新宿という地名は、甲州街道の宿場町「内藤新宿」という名前が起源になっている。
江戸幕府を開いた徳川家康が五つの街道を整備して甲州街道が出来、その最初の宿場町として新宿が栄えた。
そして実は内藤新宿は江戸城の西の入り口を固める役割もあったのだ。
ところで、この江戸という街は、風水に基づいて設計されている。
設計したのは家康から三代将軍家光まで使えた天海僧正だ。
彼は大変優秀で、もともと風水的によくなかった江戸を、平安京にも勝る風水都市にデザインし直した。
江戸城の鬼門に当たる場所に上野寛永寺をおいて、その延長線に日光東照宮。裏鬼門には目黒不動。
そして明治から昭和にかけて、このデザインを引き継いだのが後藤新平という政治家。
伯爵で台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、のちのNHKの初代総裁という人物。
この人も風水にとても通じていて、鉄道の整備をしたときにも風水を大きく取り入れて、東京を守らせたと言われてる。
実は彼は関東大震災の後、帝都復興院総裁として、震災復興計画を立案した人である。つまり風水で東京に災害が二度と来ないようにデザインしたと考えられる。
図を見て欲しい。
山手線の路線図、当然円形である。
そしてこれに中央線を足すと、陰陽を表す太極図になる。
この太極図の白い部分は陽、黒い部分は陰を表す。
そしてこの魚眼と呼ばれる部分が陰の中の陽、陽の中の陰、を表す。
つまり東京は風水的にバランスを取って、震災のような魔物が来ないようにしたと思われるのだ。
ちなみに、魚眼の丸は皇居、もう一方の丸は新宿御苑。
つまり西の守りの部分である。
そして新宿御苑は大正天皇、昭和天皇の「大喪の礼(=葬儀)」が行われた場所だ。
この新宿御苑を、もうちょっと範囲を広げて歌舞伎町も含めることも可能だろう。
皇居に対しての歌舞伎町。対照的でまさに陰陽ではないか。
そう、つまり新宿は皇居と並び、都内最大のスピリチュアルスポットであるのだ。
Written by 住倉カオス(投稿型怪談サイト『百万人の恐い話』案内人。DVD『恐い動画』シリーズなどで多くの怪奇スポット等の取材を行う。本業はカメラマン。『百万人の恐い話』http://www.millionkowai.com)
Photo by marin
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