教師「自分が在日朝鮮人でないことを説明しなさい」 昭和の在日差別の実態|中川淳一郎
在日コリアンに対するヘイトスピーチデモが各地で展開されるようになって久しいが、昭和の時代にこうした風潮の萌芽はあったのでは、と思う。何しろ小学校、中学校で「チョーセンジン」に対する妙な恐れと差別は蔓延したのだから。
私が小学校5年生から中学2年生までを過ごした東京都立川市には朝鮮学校(西東京朝鮮第一初中級学校)が存在する。私が通っていた立川第六中学は私の在籍する数年前まで立川市内屈指の「荒れた中学」とされており、立川市内でもっとも戦闘力が高いとされていた立川第二中学との抗争を続けていたという。だが、私が通った頃はすっかり牙も抜け、戦闘力は二中の後塵を拝していた。
そんな中、傍観者として六中生が胸を躍らせていたのが「二中VS朝鮮中学」である。二中の戦闘力の高さは伝説のごとき形で伝わっていたが、朝鮮中学は「何をしでかすか分からない」という恐ろしい感情を六中生は持っていた。彼らは朝鮮中学のことを「チョンチュー」と呼んでいた。そして「チョンチュー」にまつわる真偽不明の怪情報をシェアしてはその攻撃性の高さに戦慄していた。
もっとも知られたエピソードは「ヤツらは鼻の中に割り箸を刺し、殺す」というものである。こういった話を聞いたら「でも、二中の○○なら、そんな状況に追い込まれることなくチョンチューのヤツを潰せるんじゃねぇの?」なんて話をしていた。なんとなく同じ日本人である二中を応援する空気はあった。
誰も朝鮮中学と二中の不良と接点がないくせに、「兄貴から聞いた」「二中に通う友達から聞いた」といった伝聞を基にこの2つの中学校に対する恐怖イメージを増幅させていたのが我々であった。だからこそ、我々は大真面目に「二中から応援要請があったら助けるべきか?」といったことを話し合っていたのである。
まさにどおくまんの漫画『熱笑!! 花沢高校』の世界の中学版のような話をしていたのだが、当時の空気としては朝鮮中学の方が二中よりも恐ろしい、というイメージがあった。
このイメージ醸成は小学校時代からの教育が影響しているのではなかろうか。小学校4年生まで私は川崎市宮前区の鷺沼小学校に通っていたが、ここは教育熱心な若い親が多数住む新興のニュータウンであり、川崎区の殺伐さとは縁遠い場所だった。同じ市内とはいえ空気はまるで違う。5年生になる前に引っ越した立川の方が川崎区に近い雰囲気がある。
競輪場、場外馬券場、風俗街があり、多摩地区屈指の歓楽街として知られていた立川は殺伐とした街だった。そんな街に朝鮮中学があり、その隣の市である小平市には朝鮮大学があることから立川市民にとっては「朝鮮」が鷺沼よりは身近な存在だった。それが良い意味ではなく悪い意味で、だ。
1985年、小学校6年生の夏、放課後のホームルームの時間に私を含めた3人の生徒は前に出された。クラスメイト全員の前で何やら吊し上げを喰らうであろうことは分かった。まったく心当たりがなかったのだが、教師はこう言った。
「この3人は、ライターを所持していました。非行に繋がる話ですので、こうしてみんなの前で謝罪をしてもらいます」
その前日、確かに我々はライターを使っていた。AとB、私、そして前には立っていないCと4人でクワガタ獲りに行ったのだ。当時のトレンドとしては「煙玉」と呼ばれる駄菓子屋で売っているモノに火をつけ、樹木の穴に煙を入れ、中に隠れているクワガタを外に引き寄せる技が使われていた。この技を使うとクワガタは呼吸困難に陥って外に出てくるので、そこを捕獲するのである。クワガタが弱る、という懸念はあったものの手っ取り早くクワガタを捕獲できる、とされていた。
母親と教師の差別的連携プレー
実際に成功した例というのは見たことはないのだが、最新鋭のクワガタ捕獲方法として採用されていた。これが問題視されたのだ。確かにライターがあればセットとなるのはタバコであり、非行に繋がる可能性はある。だが、我々はタバコは吸っていない。そして不可解だったのが、ライターを使ったことでいえばCだって一緒にクワガタ獲りをしたわけだから前に立っていていいはずだろう。
こうして納得のできぬ糾弾を続けられていたのだが、話はおかしな方向に行く。我々がライターを使ったことがバレたのは、Cが持っていたライターをCの母親が発見し、学校に通報したことなのだが、この時はCがなぜか被害者ということになっていた。
Cの母曰く「悪い友達にそそのかされてライターを使わされた」というストーリーになっていたのだ。そのうえで、我々とは縁を切るようにCの母はCに伝える。その時の言い分がコレだ。
「アンタが一緒にクワガタを獲りに行った中川君ってのは川崎から転校してきた子でしょ? 川崎ってのはね、在日朝鮮人が多い街なの。今回ライターを使ってクワガタを獲ろうなんてのは、在日朝鮮人の考え方なの。日本人は煙玉を使ってクワガタを獲ろう、なんて発想にはならない。そんな危険な子と一緒に遊んではいけないから、今から先生にこのことは伝える。在日朝鮮人である中川君と、彼に従ってライターを使った2人をキチンと叱ってもらうから」
これには私も驚いた。「オレは日本人だと思っていたが朝鮮人だったのか?」と仰天するとともに、混乱したが、教師が続けて言った発言には耳を疑った。
「C君のお母さんから、中川君が在日朝鮮人だという話が来ました。でも、私が把握している限り、ウチのクラスに在日朝鮮人は一人もいません。でも、C君のお母さんが納得しないので、中川君、自らの口で自分が在日朝鮮人でないことを説明しなさい」
私も何が何やら分からなかったが、皆の前で「ぼ、僕は、在日朝鮮人ではあ、り、ま、せ、ん……。ぼ、僕は、に、日本人です」とどもりながら言った。そして教師は「はい、こうして中川君も日本人であることが分かったのでC君、お母さんにこのことを伝えておいてね」と言った。
今この流れを振り返ると明らかに異常である。「悪事をする人間は在日」というレッテルを教師が貼り、「あなたは一時の気の迷いでライターを使っただけ。善良なる日本人であるという宣言をしなさい」と教師から言わされたのだ!
嫌韓デモに参加する者は中高年が多いが、小中学校時代、こうした教育を受けてきた学校は全国にそれなりに存在したのでは? とも思う。明らかにCの親の言い分と教師の言い分はおかしい。あの時クラスの中には「朝鮮怖い」「朝鮮中学ヤバい」「在日は出ていけ」といった気持ちが芽生えたかもしれない。
これは33年前、小学6年生の教室で展開されたいびつな風景である。(『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第十四回)