シンクロニシティと悪夢|川奈まり子の奇譚蒐集・連載【十一】

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 当時大学4年生だった後藤兼文さんは、あるときこんな夢を見た。

 ――幼稚園の教室のようなところで、5歳くらいの男の子がローラースケートを履いて走り回っている。その周囲には数人の子どもたちがおり、皆、ローラースケートの子と同じか少し年下の、つまり幼稚園児のようである。子どもたちはてんでに遊んだりおしゃべりしたり……、幼稚園の日常風景のようだが、室内をローラースケートで滑る行為だけが浮いている。しかしどの子もなぜかまったく気にしていないようで、そのため後藤さんは胸がもやもやした。

 ローラースケートの子は独りで非常に巧みに滑っている。笑顔で、フィギュアスケート選手の妙技を思わせるほどの華麗な滑りを見せている。
 そのうち、なんとその子は、後ろに宙返りしようとした。ローラースケートを履いた両足が宙を舞い、次の瞬間、男の子は頭からグシャッと床に叩きつけられた。失敗だ! 滑っていたときのまま顔に微笑をはりつけた細い首が真後ろに折れ、小さな後頭部が背中にめりこんだ――

 後藤さんはワッと叫んで跳び起きた。
 そして咄嗟に男の子の頸部が後ろに折れ曲がる刹那の映像記憶を反芻してしまい、衝撃的な光景に、あらためて胸の底が冷えて気分が悪くなった。
枕もとの目覚まし時計を確かめると、朝の7時で、ちょうど起床する予定の時刻だった。
 目覚まし時計をリセットしてベッドから下り、床に足をつけた。
 そのとき、実家から電話がかかってきた。
 出てみると母で、「ジョンが亡くなった」と涙声で後藤さんに告げた。

「犬小屋から出てこんで今さっき見てみたら、もう息をしちょらんじゃった。まだ体が温かって、死んだばっかいんごたる」

 九州の実家でかわいがっていたジョンは、後藤さんが幼い頃に飼いはじめた犬だった。近頃は老衰でだいぶ弱っていたから、死んだことは意外ではなかったが、子どもが首の骨を折った夢を見たときに死んだことが釣り針のように心に刺さり、夢の内容と共に、一生忘れられそうにないという。

 こうした「意味のある偶然の一致」を「シンクロニシティ(共時性)」と名付けたのはカール・グスタフ・ユングだ。

 シンクロニシティとは、2つ以上の出来事が意味的には関連がありそうに見えながらも、因果律の上では非因果的に同時に起きることだ。フロイトと精神分析界の双璧をなすユングは、シンクロニシティを「内面と外界での事象の一致」「遠隔視」「予知」といった3つのカテゴリーに分類したが、それらの解説には超心理学的な長文の説明を要するので、ここでは割愛する。

 ともあれ、後藤さんの悪夢と愛犬・ジョンの死にはシンクロニシティが認められると思う。後藤さんの夢の中で男の子が首の骨を折って絶命したのと同時に、ジョンは彼の世へ旅立ったのだろう。

 後藤さんは他にも、こんなシンクロニシティを体験しているそうだ。
 2016年4月のある朝、目覚める前に、「大正天皇御製(ぎょせい)の句」として本に記された「七里浜鮫の来ぬ間の昼餉かな」という俳句を読むという夢を見た。
 するとその夜、「某テレビ番組でロケ中に横浜の海岸で漁を試みたところ、非常に稀少なゴブリンシャークという種類の鮫が網に掛かった」という話を人から聞かされたのだという。
 ちなみに、大正天皇の御製歌にそのような俳句は存在しない。
 ゴブリンシャークが網に掛かった珍事は実際に起きており、2016年4月10日の夜に日本テレビの番組内で全国放送された。

 後藤さんはまた、金縛りに遭った経験として、ご自身が金縛りに遭っているまさにそのときに、隣で寝ていた妻が「家のベランダに黒い和服の女が立っている」という不気味な夢を見ていたことを語られたが、これもまた、シンクロニシティの一種と言えそうだ。
 ……後藤さんをインタビューした私が黒っぽい和服を好んで着ることは、ただの偶然だと思いたい。

 最後に、後藤さんの話から離れて、私自身が体験したシンクロニシティと夢のエピソードをご紹介したいと思う。比較的、最近の話だ。
 
 先月、母方の叔母が亡くなった。遺言に従い、納棺後、生前愛用していたピンク色のフェイスタオルや二、三葉の仏像の写真葉書を棺に入れた。そして最後に、葬儀場が用意した色とりどりの花で、顔だけ残して遺体を覆った。
 焼骨すると、骨に紫や薄赤、緑の色素が淡く染めつけられていた。
 焼き場の人にこの色は何かと問うたところ、焼くときに花の色が骨に移ることがあるとのこと。お骨がほんのりと優しい色合いに染まった景色は物悲しくも美しく、華やかな服装を好んだ叔母らしいような気もした。

 ――その夜、公営団地の夢を見た。あたりには、うらぶれた灰色のコンクリのビルが何棟も連なり、建物の合間を路地と植栽や家庭菜園が埋めている。私が幼少期を過ごした都営下馬アパートのようでもあり、今の住まいからごく近い都営青山北町団地のようでもある。私は夢で、団地内の路地を歩いて先日死んだ叔母の家を訪ねていくところだ。
 夢の中では私は12歳かそこらで、従姉弟たちと遊ぶ約束をしており、叔母は元気で生きていた。ちなみに叔母たちは一戸建てに住んでいたから、この設定は間違っているが、夢では私は何ら矛盾を感じていなかった。

 さて、団地の路地を歩いていて、私は3匹の仔猫を見つけた。
 紫陽花の植え込みからミィミィと鳴き声がして、声を辿ると枝葉の陰に蓋をしたダンボール箱があり、中に掌に乗りそうな仔猫が3匹いた。捨てられたのだ。そう思って仔猫たちを胸に抱くと、仔猫は3匹とも、すみやかに紫や緑に淡く染まった骨になってしまった――。

 こんな夢を見て、近ごろはちょっと面白い夢を見るとただちにスマホのメモ帳に綴るようにしているので、これも書き記した。

 それからまた一週間して、叔母の初七日だなぁと思いつつ、法事は不要と言う知らせを受けていたから特別なことは何もせず、仕事をして近所を散歩した。

 私の足は自然に、都営青山北町団地の方へ向いた。青山界隈は東京都屈指のお洒落タウンということになっているはずだが、青山北町団地は昭和4、50年代で時が止まっているかのようで、建物は老朽化し、しかも最近では空き室も多い。家庭菜園や植栽は荒れ放題で、一部ジャングル化している。現在、再開発計画が進行中だ。
 しかし、世田谷区の都営下馬アパートで生まれた私にとっては、古びた団地は心和む懐かしい景色である。そこでよく散歩をするわけだが、この日は紫陽花の植栽の前で思わず立ち止まった。

 そこは、夢で見た景色とそっくりだった。紫陽花があり、その根もとに枝葉に半ば隠されて、ダンボール箱が置かれていた。
 仔猫の鳴き声はしなかった。私はドキドキしながら箱の蓋を開けた。
 箱の中には、紫や緑の紫陽花の大きな花冠が3つ、首のところで茎から斬り落とされて、ひっそりと転がっていた。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【十一】)