日馬富士・引退会見でまたもや沸き出した”ノイズ”を取り払ってみましょう

横綱・日馬富士が11月29日に引退を協会に届け出しました。番付発表前に引退をせざるを得なかったという判断でしょう。暴行事件が報道されてから約二週間。かなり早い決断と言えます。

取り調べと報道で日馬富士の精神状態は限界だった?

これは恐らく日馬富士の精神状態にあるのではと推測します。鳥取警察の任意聴取は約八時間。横綱だけあって警察の取り調べはさほど過酷ではないと思いますが、もし日馬富士が初めて警察の取り調べを受けたのなら、かなり疲弊するはずです。
いくら柔らかな態度で取り調べたと言っても、加害者として、また暴行の容疑者として取り調べ受けているのですから。前歴がつくかも知れないのです。
国技である相撲の最高峰の横綱。それが一転容疑者扱いされるのです。プライドもズタズタでしょう。

で、今回の引退・テレビ会見でまた例によってノイズが沸いてきましたね。それを取り除く作業してみましょう。

1
貴ノ岩の傷の写真が出る(おそらく本人でしょう)。
貴ノ岩の傷が深刻だという事。そして怪我が本当だという事がわかる。

2
コメンテーターの意見が弱気になる。
曰く、「二重診断書を出した貴乃花って信じられない」「本当に怪我をしていたのか。巡業では相撲を取っていではないか」と言っていた人々。これらの説が覆さられ、あいまいなコメントに終始するか、自分の持論はなかった事にするパータンへ。

3
横審が「日馬富士に厳しい処分を」と同時に「貴乃花親方も相撲協会の聴取に応じないのはおかしい」と苦言。両論併記状態に。白鵬も取り調べられている為、暴行はなぜ起きたのかという事に焦点が集まる。

4
場所後、貴乃花の肉声が初めて放送される。
「警察の手に任せるほかなかった。ほかの弟子が同じ目にあったら同じ事をする。それが自分のポリシーだ」と説明。コメンテーターやメディアも同調気味のコメント・記事掲載。
が、相撲記者会友や一部の識者は組織論で対抗。「相撲協会の理事としてどうなのだ」という事で対抗。

5
日馬富士引退会見。
今まで「貴ノ岩がかわいそう」「貴乃花親方の言い分もわかる」といった流れが、あの一瞬で「日馬富士が引退する事ではないのではないか。要するに貴乃花親方がやりすぎだ」という方向に行う。
ノイズと言ってしまうのは酷だがあえて言うと伊勢ケ濱親方の涙。晒しもの状態になった最高峰の日馬富士の姿。しかし、その感情は分かる。

6
八角親方の講和会でモンゴル力士たちが情の部分からか、貴乃花親方に反発。同郷の英雄をこのような形で引退させていいのか。すなわち貴乃花親方のやり方は頑なすぎる、と。

ここまでが、29日の流れです。
確かに、伊勢ケ濱親方の冒頭の涙で視聴者は引き込まれたと思います。親方も無念でしたでしょう。部屋から横綱を出す事がどんなに名誉な事か。そして17年も子ども・弟子として育てきた力士が、このような事案で引退するとは。
相撲界にとっても、暴行で引退に追い込まれた横綱が続いて二人という、不幸な状況になってしまいました。

貴乃花親方 VS モンゴル力士という構図が深刻化するのか?

貴乃花親方は、前記事で書いたようにテレビ『情熱大陸』(TBS系列)で「自分たちは相撲しか知らないで育った。だから世の中の流れから弟子たちを守りたい」という旨のコメントをしています。だから、世間から相撲がどう見られているのかを重視しています。

ギャンブル、暴行死、大麻、八百長……。

これらが近年、立て続けにおきました。相撲がどう見られているかに目を配っている貴乃花親方にとって、こういった不祥事を根絶する事こそ、理事としての信念なのでしょう。

今回はモンゴル力士の互助会(と貴乃花親方は見ていたのか)とそれを黙認していた相撲協会への積もり積もった反発が貴乃花親方の胸にくすぶっていたとしたら、根本的な問題解決とはほど遠くなる事でしょう。
『情熱大陸』で貴乃花親方は外国人力士の台頭について、

「現実に外国人力士によって相撲界が成り立っている事実がある。(けれど)母体はこの国にありますから。大相撲の精神を注入すれば肌の色は関係ない」

という旨の発言をしています。
今回の事件も含めたスキャンダルは彼が理想とする「大相撲の精神」とはほど遠いものだったに違いありません。
相撲が世間で本当に受け入れられて貰えるには司直の手にゆだねて判断してもらうという方法を採択したと見られます。

本サイトはしつこいので再度言いますが、この案件は一般人だったら逮捕拘束もあり得る刑事事件です。刑事事件の場合、僕らメディアはまずは被害者の立場にたって考えます。

まずは貴ノ岩の怪我の回復。
精神的なダメージの回復。
そしてモンゴル力士から、あるいは日馬富士ファンからの「お前が横綱を引退に追い込んだ」というような貴ノ岩に対する冷たい視線があったとすれば、それはあってはならない事のはずです。

彼はあくまで被害者なのです(警察の聴取と裁判が起きたらその推移を見なければなりませんが)。

文◎久田将義