なぜ北関東で殺人事件が起こるのか――その土地的因縁は「江戸時代の農村」へと遡る|八木澤高明

北関東の人々の価値観を変えた「蚕」

八木茂の事件ばかりでなく、北関東では金に絡んだ殺人事件が、数多く起きている。例えば、埼玉愛犬家殺人、栃木県足利市のマニラ保険金殺人など、枚挙に暇がない。
なぜそのような凄惨な事件が次から次へと起こるのか。その背景には北関東という土地の歴史を見なければならない。

まず八木茂が事件を起こした本庄という街は、江戸時代の代表的な街道である中山道が通っていた。江戸時代中期以降、群馬や埼玉で盛んになった養蚕によって、中山道は今まで以上に人の往来が盛んになった。

米作にはあまり向かない上州の土地で、農民たちは厳しい生活を強いられてきたが、農村は養蚕によって、変貌した。米本位であった江戸時代の農村において、米ではなく金によって社会がまわりはじめたのだ。後の日本社会で起こることが、一足先に上州を含む北関東で起きていた。

養蚕は換金作物として、群馬や埼玉の農村を潤し、遊び人と呼ばれた現在のヤクザの前身となる者たちを生み出した。遊び人は、人と金が集まる北関東の農村や中山道の宿場などで盛んに賭場を開いたのである。その代表的な存在が、国定忠治である。ちなみに中山道六十九宿のうちで一番栄えていたのは、本庄宿であった。養蚕がもたらす現金は、人を集めたのだった。

北関東には、金と人が集まるようになると、当然人心は乱れ、治安が悪化する。幕府は、風紀を引き締めるために、1805年に関東取締出役という出先機関を設け、遊び人や無宿人たちを取り締まった。

江戸時代の中期には、中山道の宿場を中心として犯罪の温床ができあがっていた。さらに時代が下り、明治時代に入っても本庄の繁栄は続いた。江戸の街では異国の船に襲撃されたらひとたまりもないから、東京から遷都すべきだと唱える者もいたほどだった。

養蚕によって、価値観が変わった土地では、旧来の閉鎖的な農村で起きる土俗的な匂いがする事件ではなく、金にまつわる事件が、頻発するようになったのである。
現代に起きる事件というのもは、過去の因縁から逃れることはできない。(取材・文◎八木澤高明)