「この子と…ずっと一緒にいたい」 湧き上がる思いを押し殺し、ビジネスホテルで産んだ我が子を捨てた女

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 産まれてきたのは身長48センチ、体重2520グラムの男の子でした。母親は橋本若菜(仮名、裁判当時32歳)で、彼女は大塚のビジネスホテルの浴室で誰の助けも受けずに一人で出産をしました。産む前から彼女は決心していました。

「産んでから、棄てよう」

 産まれたばかりの赤ちゃんの身体を洗いながら彼女は強く思ったそうです。
「この子と…ずっと一緒にいたい」
 そんな思いが頭をよぎるたびに彼女はそれを打ち消しました。

「子どもはかわいくて愛おしかったです。でも私と一緒にいたら…。私はお金も自信もなかったし、身分証もないからこの子は行政サービスも受けられません。その大変さは知っていたから、棄てるしかないと思ってしまいました」

 産んだばかりの赤ちゃんを今から棄てに行かなくてはいけない、それは彼女にとって身を切られるように辛いことでした。

「もう会えないなら…。もう少しだけでも一緒にいたかった」

 そんな思いでホテルの滞在時間を延長しましたが、いつまでもそうしてはいられませんでした。
 彼女はあらかじめ用意してあったトートバッグに赤ちゃんを入れて、ホテルを出ました。棄てる場所は考えていませんでしたが、どんな場所に棄てるかは決めてありました。
 自分の姿が見られないようになるべく目立たない場所で、なおかつ誰かがすぐ赤ちゃんに気づいてくれるように人の住んでいる住宅の近く、です。

 歩きながらそんな場所を探していた彼女が見つけたのは、西巣鴨のアパートの物置の陰でした。
「ごめんなさい…」
 そう言ってからバッグから赤ちゃんを出して置き去りにする彼女を目撃した人はいませんでした。そして彼女が立ち去った30分後にはアパートを訪れた人が上半身裸でタオルを巻いただけの状態の赤ちゃんを発見し、通報しています。赤ちゃんは無事でした。

誰かが助けてくれるとさえ考えてなかった

 彼女が妊娠に気づいた時は出産する4ヶ月前、もう堕ろせる時期は過ぎていました。おかしいと思ったことはあったそうですが、元々生理不順だったので深く考えませんでした。風俗店で働いていた彼女は不特定多数と性的関係を持っていたので、誰が父親かはわかりませんでした。
 妊娠がわかった後も、客に「腸の病気」だと言って働いていたそうです。彼女の言葉の真偽を疑う者は誰もいませんでした。
 誰かに相談したり助けを求めたりはしませんでした。いや、そんなことは考えもしませんでした。今まで生きてきて、誰かに助けてもらった経験が彼女には一度もないのです。

「平成21年に家出してから音信不通でした。
妻と仲が悪く、妻は手もあげていたようでした(父親の供述)」

「子どもの頃から、妹は母に日常的に暴力を振るわれていました。母に殴られているのを父には知られないようにしてたみたいです(姉の供述)」

「姉が小学校三年生のころ、顔が血まみれになるまで殴られてるのを見ました。大きくなってからは、アルバイト代を巻き上げられるから早く家を出たいと言ってるのは聞きました(弟の供述)」

 母から虐待を受けていた彼女を救ってくれる人は誰もいませんでした。母はいつもずっと彼女の側にいて、まだ子どもだった彼女は逃げることなど出来ませんでした。父に話そうと思ったことはあったそうです。しかし、彼女が少しでも父と話していると母に、
「色目を使っている」
 などと言われ、また暴力をふるわれるのです。彼女は全てを諦めました。
「誰に何を言っても仕方ない。どうせ誰も助けてくれない」
 この諦めを抱いて、彼女はずっと独りで生きてきました。

「発見された赤ちゃんにはタオルが巻かれたままでしたけど、ここから犯行がバレるとは思わなかったんですか?」

 という質問に彼女はこう答えています。

「お腹冷やしたりしたら大変だとかいろいろ考えて…はずせませんでした。」

 この一枚のタオル、それは愛情を全く受けずに育った彼女が、自分の中で精一杯に育んだ愛情のあらわれだったのかもしれません。(取材・文◎鈴木孔明)