【新宿オカルト伝説2】新宿区南榎町に位置する南榎公園……この土地で起きた悲劇の歴史を紐解く

置き時計によって頭と顔を40回も叩きつけた

「場所の力」とでも言おうか、特定のスポットに奇妙な偶然が幾つも一致することがある。特に新宿という街は、そんなホットスポットが多く点在しているのだ。

新宿区南榎町は、小高い丘の上にたたずむ閑静な住宅街だ。その一画にある小さな公園が、かつて悲惨な殺人が起きた現場だとは、誰も思わないだろう。ここには三十五年前、日本における英文学研究の基礎を築き、その功績では夏目漱石をもしのぐ大学者・斎藤勇の住宅があった。

1982年7月4日午後1時20分、書斎にいた斎藤勇(当時95)に、孫である透(当時27)が襲いかかった。透は金属の置き時計によって勇の頭と顔を40回も叩きつけた後、眉間に柳葉包丁を9cmの深さまで突き刺した。屋内には「うおーっ」という断末魔が響いたという。通報を受けた警察がかけこんだ時、勇は血の海の中で絶命していた。

透は、一階の家政婦部屋の押入に隠れていたところを発見される。しかしその際、根岸警部補に飛びかかり、顔面をチーズ用ナイフで切りつけた。この負傷により、同警部補は病院搬送後に死亡。その他、家に居合わせた透の母や家政婦も負傷している。

事件を報じる新聞記事

菜食主義で日常会話は英語のみ……

東大名誉教授にして文化功労者、英文学の長老の惨死は学会に衝撃を与えた。ただし透は精神鑑定の結果、統合失調症による心神喪失が認められ不起訴処分となっている。祖父・父・伯父が東大卒で東大教授という名門一家に育った透だが、一人だけ慶應出身で留学も上手くいかず、そうした挫折体験が精神に悪影響を与えたのかもしれない。

父と同じ法学の道を諦めた透は、宗教を学ぼうとアメリカに再び留学した。しかしそれがまずかったのか、ゾロアスター教やインド神秘主義などに傾倒していく。徹底した菜食主義を貫いたため健康が悪化し、帰国する羽目に。それ以降は日常会話ふくめ英語しか喋らなくなってしまった(事件後の警察取調べも通訳を入れねばならなかった)。とはいえ超インテリである祖父・父とも、英語オンリーの会話という奇行に対応できてしまったことは想像に難くない。そうした家族の優秀ぶりもまた、彼のコンプレックスを助長しただろう。

透の日記もまた異様なものだった。「悪魔を殺さねばならぬ」「ゾロアスター・アーミンマ。地球人類は悪魔だ。私は、悪魔を殺す使命を神から受けた」……との記述が、英語なのはもちろんのこと、「逆さ言葉」の文章で並んでいたのだ。彼にとっての祖父は人間を超えた頭脳を持つ悪魔であり、だから執拗に頭部を破壊しようとしたのだろうか。もっとも映画「エクソシスト」でも描かれるように、逆さ言葉を使う方こそが悪魔の側とされるのだが……。

この土地の魔力に引き寄せられた人々

事件後に斎藤家は引っ越し、その跡地は南榎公園となった。すぐそばには泉鏡花の旧宅や林羅山の墓があり、そうした知的雰囲気に誘われ、かつての斎藤教授はここを住処に選んだのかもしれない。

事件前年の住宅地図

事件2年後の住宅地図

この場所は、確かに様々なものを引き寄せるホットスポットだ。丘を下りた谷底の市谷柳町交差点から、外苑東通りを南に歩けば、貰い子殺しで有名な「寿産院」の跡地がある。終戦直後に百人以上もの乳幼児を死なせた「寿産院事件」の現場だ。

反対の北側には幽霊が出たという幽霊坂(現・宝竜寺坂)、その先には現代アーティスト・草間彌生が40年以上も住んでいる精神病院がある。1973年にアメリカから帰国して以降、草間は生活の場を同院に移し、現在もここからアトリエに通っている。事件当日の草間も、斎藤家からほど近いこの院内で、騒ぎを聞き及んでいただろうか。

さらに意外なところでは、あの鬼畜系ライター・村崎百郎もまた事件当時、斎藤家の隣に住んでいたという。現場作業中の警官に、事件の詳細を聞いたという村崎百郎らしいエピソードも伝わっている。

つまり斎藤家の周辺は、鏡花や羅山という「表」の知的エリートに縁深いと同時に、広い意味での「裏」、アウトサイダーの磁場も強い土地だったのだ。この場所がもつ表裏の両極性は、透が置かれた斎藤家の状況とリンクしているようにも思える。

取材・文◎吉田悠軌