「とある団体の上層部が謝罪広告を要求…」久田将義の週刊気になること。第2回:謝罪の方法

第一回からの続きになります。

僕が思うには、人の真価とは「謝る」時にこそ、問われるものなのではないかと感じます。

「謝る」の反対は「怒る」ですが、「怒る」のはどちらかと言えば簡単ではないでしょうか。いや、厳密に言えば「怒る」のも後先考えれば難しい感情表現なのですが、いわば開き直って乱暴な言葉を使えば、他人から見れば「怒」ったように見えるはずです。芸人で言えば「キレ芸」という事になるのでしょうか。

実は僕も怒りやすい性質です。それを我慢していました。しかし、どうしても性分で怒る時があります。怒ると止まらない性質ですので、これが社会に出て通じるかと言ったら通じません。ですから、怒れば怒るほど意識して、丁寧語を使うように心がけました。「余計、怒ったように見える」とはよく他人から言われますが、怒鳴り散らすよりはマシでしょう。

では、謝るという事について。

僕のいる出版業界を鑑みてみましょう。謝罪する時というのは多々あります。僕も取材先や記事の内容で納得できないけど、謝罪広告を出した事が何度もあります。

時には理不尽ではないか、と思った事もあります。裁判で負けたり和解という名の「敗訴」のような時もあります。 

「なぜ俺が謝らなければならないんだ」と。

そういう時は、いちいち言い訳せずに思いっきり謝る事にしています。

例を挙げます。

とある団体の上層部が会社に来て、穏やかにですが謝罪広告を掲載するように申し出てきました。話し合いの末、会社の為でもあると思い、これ以上話を長引かせるのを止め謝罪広告を出すと決めました。

で、思いっきり謝りました。表紙をめくって次のページにカラーで「お詫び」を一ページに渡って掲載したのです。実は表紙にしたいくらいでした。表紙に「お詫び」とある雑誌は見た事がありませんし、そのくらい思いっきり謝罪した方がすっきりします。

酔狂。という言葉があります。僕はこの言葉が好きです。人間、生きるなら酔狂に生きてみようじゃないか、と。

逆にスッキリしないお詫び。酔狂のかけらもないお詫びもあります。これは某雑誌に僕が抗議したのですが、返ってきた文言が「遺憾に思います」。

どこでそんな言葉を憶えたのでしょう。どこでそんな言葉を使うのでしょう。その言語感覚が恥ずかしいと思いました。政治家で十分です。しかし、この文章を書きながら自分でも恥ずかしい謝罪をしてきたなあと思い出して赤面している所です。

次回は予定で、ずっと考えていた事。「暴力」について。

Written by 久田将義

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