マスコミ業界で許容される「職業ゴーストライター」の線引きとは? by久田将義

2月6日、「現代のベートーベン」佐村河内守氏のゴーストライター新垣隆氏の記者会見が行われた。ここで問題になったのは、佐村河内氏が聴覚障害を装ってそれを「売り」にしてCDをセールスした事。さらに被災地などへの楽曲提供などだが、おそらく、発端は「実は自分で作曲していなかった」点だ。すなわち、ゴーストライターと呼ばれる人間の存在だと思われる。会見で気になったのは、新垣氏の他にもゴーストライターがいるのではないかという疑惑だが、それは置いておく。

僕はこの一報を聞いて、「音楽の世界でもゴーストライターと呼ぶのか」と思った。出版業界ではゴーストライターの存在は当たり前だからだ。実際、僕もゴーストライターを使って本を編集した事がある。

「ゴーストライターが悪い」という論調があるが、僕は必ずしもそうは思わない。僕が知るゴーストライター達は、おおむね、「腕がある」人が多い。すなわち文章技術に優れている。

例えばタレント本などはタレントが書いていないのは周知の事実だし、それは視聴者もわかっている。政治家の本などもそうだ。だから、ここまではゴーストライターは許容されている。

では、本業の作家や文化人の場合はどうだろう。ここからが、佐村河内氏問題と重なってくる。つまり今回の問題は、「本業でありながらそれが偽装であった」事が問題の一つであり、「本人ではなくゴーストライターに書かせていたのか」という、がっかり感が視聴者や佐村河内氏のCDを購入した人にはあったと思う。

出版に例えてみよう。ある有名作家がいるとする。当然、作家なのだから文章のプロだ。それが実はゴーストライターだったら…というガッカリ感と似ている。例えば村上春樹氏の小説が誰かに書かせていたものだとしたらと、想像していただきたい(勿論そんな事はないが)。

では、どこまでが「ゴーストライター」と呼ばれる範疇なのだろうか。ジャーナリスト本多勝一氏は自著の中で、「今は忙しいので自分が言った事をアシスタントに文章にしてもらっている」という主旨の事を記している。いわゆる口述筆記というものだ。これは、ゴーストライターとは言い難い(さらに、本多氏はそれを隠していない)。

また、ノンフィクションの世界でも大家になると、データマンが一人、あるいは数人いて、取材原稿をそのノンフィクション作家がまとめるという作業を取るケースがある。一見、「自分で取材していないにも関わらず、その人の名前で本を出すのはおかしいのではないか」と読者は思うかも知れない。しかし、データマンもそれを前提に仕事を依頼されており、場合によっては巻末、巻頭に名前が載る。広い意味でのゴーストライターかも知れないが、これは作家とデータマンの「共同作業」なのである。

僕が知る、ゴーストライターは前述したように、腕のある人が多い。総じて、ゴーストライター歴を経た後、自著を出版している。その時は当然、自分の名前である。

新垣隆氏もゴーストライター歴18年のベテランだ。出版では、「職人」の域に入る。将来は、自分の名前でCDを出すのではないだろうか。出版業界と同じように。

Written by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)

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実はゴーストだらけ。