リアルな”部屋住み”とヤクザの本音満載の映画『ヤクザと憲法』|久田将義コラム
東海テレビ制作のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』を観に行きました。一部では評判の映画。大阪・西成を本部とする二代目東組二代目清勇会川口和秀会長やその部屋住みの若者、幹部や山口組顧問弁護士山之内幸夫氏を中心にインタビュー形式にまとめられた内容です。
観客層は一般の方が多かった気がします。ですからヤクザの物言いや態度などは新鮮に映るのではないでしょうか。劇場内では時々、笑い声もおきていました。僕は少ない取材体験ながら、部屋住みの人間や事務所に行って組員と会話をする事もあった為、組員や部屋住の若者の物言い自体は「そういうものだよな」と感じていましたが、周辺のお客さんの反応を見ると初見の方は興味深い内容になっていると思います。
取材中のディレクターが「事務所に拳銃とかおいていないんですか?」の問いに困惑と多少の怒りの混じった表情で「あるわけないやろ」といった幹部のシーンには僕も少し苦笑しました。「あるよ」などと言えばそれこそ銃刀法違反になります。ディレクター、怖い者知らずだなと感心しました。
主に登場する二代目清勇会川口会長は、映画を観れば誰もが感じると思いますが役者のように整った顔立ちです。22年間の懲役を経てほぼすぐに、僕とライターでインタビューをした事があります。収監されていた刑務所の酷い対応について、です。
服役後はよく「刑務所ボケ(ムショボケ)」などと言われ、なかなか言葉が出てこなかったりするものですが、川口会長は22年という僕にすれば気の遠くなるような時間を経ても短時間ながらきちんと答えていたのが印象に残っています。
暴力団対策法と暴力団排除条例でヤクザは「車は買えない」「銀行通帳は作れない」「マンションは借りられない」等と「生きる事自体」を制限、いや否定されているように感じます。従って、ヤクザの数自体は減りましたがそれは名簿上の事。 僕の推測ですが、名簿には載っていない準暴力団などのグループが増えてきたのではないかと思います。
アウトローはいつの時代もなくなりません。有史以来、色々な形で存在し続けています。人間全てが善人なワケではないのです。戦国の世なら傾奇者として、江戸時代なら旗本奴、町奴と称され、現在ではヤクザと称されています。 ヤクザの語源は定かではないながら、僕は「役座」だと思っています。つまり、その土地々々に「顔役」が「座して」いて、興行などを仕切っていたのではないかという説を採っています。
あるヤクザに取材した際、「ヤクザとして生きるのは難しい。けど弱い者いじめはしない。堅気はイジメない。これは親分に教えられてきた」と言っていました。ですから、お年よりをイジメる振込詐欺などはもってのほかです。昔はそういう事件が地元で起きたらその土地の「役座」がそういう輩を罰していたでしょう。必要悪という表現が正しいのか分かりませんが、それに近い存在がヤクザなのだと思っています。
『ヤクザと憲法』の見どころは、こうしたヤクザの生き方のみならず人間の生き方を考えさせられる点にあります。事務所内でのヤクザの受け答えなど時として、怖いシーンが出て来ますが、元々ヤクザは怖いと僕などは思っていますし、実際怖い目にも遭いました。世の中には本当に怖い人間がいるのだなと感じる事も出来る映画です。
この作品は普通のヤクザ映画とは違います。劇場から出た後、アウトロー気分になって、歩く姿がそれっぽくなったりする事はないでしょう。むしろ伏し目がちになりながら「人とは何か」を考えさせられるはずです。
Written by 久田将義
Photo by 『ヤクザと憲法』公式サイト(http://www.893-kenpou.com/)
水面下で蠢く暴力地図。