【追悼】急逝したセクシー女優・紅音ほたるさんの思い出|久田将義コラム

 紅音ほたるさんの事務所社長からLINEが来たのか8月16日でした。私信なので内容は省略しますが、「ほたるさんの死」をお知らせするものでした。8月30日発売の『SPA!』で追悼記事が載るのでそれまでシークレットにしておきました。

 一報を聞いた時は、呆然としました。あんなに元気で精力的に活動をしていたのに。

 ほたるさんは僕のブロマガ『ニコ生タックルズ』で一年間アシスタントをして頂いていました。2013年8月には、初めてポールダンスを披露して頂きました。その時の動画が残っているかどうか。http://ch.nicovideo.jp/hisada こちらに入って「紅音ほたる」で検索して頂ければご覧になれるかも知れません。

 その後、21014年3月にチャンネル『ニコ生タックルズ』(http://ch.nicovideo.jp/hisada)に出演して頂いたのが、最後になりました。共演者の生主の横山緑氏とのからみは大変面白かったのを覚えています。

 それからはツイッター上でのやり取りになりましたが、事務所の原社長と僕は恐らく7年くらい前からの付き合いなので彼とはちょくちょく会って飲んでいました。

 ほたるさんとの出会いは、ですから僕が『実話ナックルズ』(ミリオン出版)の編集長時代の2010年くらいからになるでしょうか。ちょうどAVを引退されて、いろいろな方向を模索していた時でした。そして、原社長とほたるさんとミーティングをしてほたるさんが、「さまざまな色街等を巡る旅」というコンセプトで連載が始まりました。

『ニコ生タックルズ』で見て頂ければお分かりの通り、ほたるさんは大変大人で頭が良い女性です。が、お会いした24~5歳当時はお酒が好きで深酒をするとかなりユニークになる女性でした。はっちゃけると言いますか。が、僕はそういう姿は見た事がなく、すでにお酒はセーブしていたのかも知れません。

『実話ナックルズ』の連載が始まったあたりでしょうか、一回だけ阿佐ヶ谷ロフトにも登壇しています。僕と青木理さんのイベントでした。これは飛び入りだったのか、ゲストとしてだったのか記憶が定かではないのですが、作家の室井佑月さん、ライターの神林広恵さん、ジャーナリストの青木理さん。そして僕というメンツだったと思います。

『実話ナックルズ』の連載で印象的だったのが、吉原に行った時の事です。身投げをした吉原の女性たちが眠っている浄閑寺という寺にお参りに行きました。そこには大きな石塔のようなものがありました。石塔には小さな窓があり、のぞくと中は真っ暗なのですがそこに吉原の女性の魂があるという事でした。

 僕は少し怖くて、中をちょっとしか見られませんでしたが、ほたるさんはじっとのぞいて座り込み、随分長い間、手を合わせていたのを記憶しています。「何を祈っていのですか」と尋ねると「姉さんたち、お疲れさまでした。安らかに眠って下さいと言いました」というような事を答えていました。「姉さん」と称するところがほたるさんらしいな、と感じました。

 それからポールダンス、DJ、「コンドーム着用」の活動等、幅広くやられていました。いつか、自伝を出したいとも言っていたと思います。僕が知る限りでも波乱万丈の人生でしたから。

 僕としましては、もっともっとほたるさんとはお話しがしたかった、もっと何を考えているかを聞きたかった、と残念でなりません。享年32歳は若過ぎます。9月中に紅音ほたるさんの追悼番組を『ニコ生タックルズ』で放送する予定です。

Written by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)

Photo by ホタル☆せいかつ―セクシーとしか言いよーのない日記

ホタル☆せいかつ―セクシーとしか言いよーのない日記

早すぎます!