この時代、改めてジャーナリズムとは何か考えてみた|青木理・連載『逆張りの思想』第一回

黒字休刊した「反権力」をうたった『噂の真相』

 

もう20年来の友人になる久田将義君(本来なら「さん」とか「氏」と書くべきなのだろうが、どうもしっくりこないので、普段どおり久田「君」と呼ばせていただく)から依頼され、こうして連載原稿を書くことになった。twitterもfacebookもブログの類も一切やらない僕がネットメディアで連載するのは初めての体験。本サイト立ち上げにあたっての久田君の意気込みは、「TABLO創刊の辞」によくあらわれている。

ジャーナリズムとは何か。ネットメディアとして本サイトも担うことになるその役割を久田君は「極論」と断りつつ、「一言」であらわせば「反権力」だと書いている。ふと思い出したのは、岡留安則さんのこと。「反権力スキャンダルマガジン」を標榜し、一世を風靡した伝説的雑誌『噂の眞相』の編集長(兼オーナー)である。

かつて通信社の記者だった僕も、雑誌編集者だった久田君も、岡留さんとは毎日のように飲み歩き、公私ともに世話になった。当時を知る飲み屋の店主は僕と久田君を「岡チル」、つまり「岡留チルドレン」だといまも言う。

その岡留さんがある時、僕にテレカ(テレフォンカードのことだが、これもいまや死語か)をくれた。『噂の眞相』の販促用テレカだったが、表面に大きくデザインされていた3文字が「反」「権」「力」。僕はなかば呆れ、なかば感心した。

メディアやジャーナリズムに関わる者にとって、権力におもねらず、権力の監視役を務める、などというのは至極当然のこと。あまりに当たり前すぎて、堂々と口にするのはなんだか恥ずかしかった。いや、本来は権力の監視役を務めなくてはならないのに、現実にはなかなかそれができていない自分たちを恥じていたのかもしれない。

でも、岡留さんの『噂の眞相』は違った。弱い者は決して叩かず、食ってかかるのはなんらかの権力を持った者ばかり。政権や大企業はもちろん、検察、警察、強面の大手芸能プロや広告代理店、そして大手メディアなどもしばしばそのターゲットになった。そんな『噂の眞相』と岡留さんだったから、テレカに堂々と「反権力」とうたっても、なるほどなぁと思わされた。

本誌久田もグラビアページで盗撮された事も。クリックで写真を拡大して久田の間抜け面を是非確認してほしい

 

つまり、メディアやジャーナリズムの、本来当たり前の佇まいとしての「反権力」。いまはどうか。政権と一体化していることを恥もせず、ひたすらヨイショし、媚びてばかりいるジャーナリストや政治評論家、メディア記者が大手を振っている。芸能メディアやリポーターだって、大手芸能プロにおもねり、弱い者ばかりを叩いている。

そういう者たちの名をいちいち挙げるのは、なんだか不愉快だから今回は記さない。でも、「反権力」を掲げた久田君の新メディアで、「逆張りの思想」などという連載タイトルを与えられてしまった以上、いずれは喧嘩腰で書かなければいけない時がくるような嫌な予感もしている。というか、久田君からはそういうものを書けと言われている。

はてさて、どうなるやら。当惑しつつ始める本連載、いつまで続くかはわからないけれど、当面はよろしくおつきあいを。