フジテレビの馬鹿ディレクターと喧嘩しながら観戦した障害者スポーツ大会について|岡本タブー郎・連載『ざわざわさせてやんよ!』第四回

東京オリンピック・パラリンピックを目前にして、メディアではここ最近「障害者スポーツ」という括りでパラリンピックの特集を組んでいるのをよく見るようになりました。

これまではパラリンピックなんて見向きもしなかったのに、この1年位は急にこういった番組が増えたような気がします。障害者をたくさんスタジオに呼んだり、密着したりするようになりました。

私は障害のある女の子がお酒を出す『欠損バー』というものを運営していまして、所属する女の子たちのマネージメント会社を経営していることもあり、こういった番組からよくお声がかかります。
障害と言っても千差万別で、障害のある人々を全部まとめて『障害者』と呼ぶことに常に違和感を持っています。それがよく分かるのが、パラリンピックのような障害者スポーツといわれる競技大会です。

そこでひとつお聞きしたいのですが、
みなさんはパラリンピックまたは障害者スポーツ大会を見たことがありますか?

おそらく、この質問には大半の人が「ノー」と答えるでしょう。身内に障害者スポーツをやってる人がいない限り、実はパラリンピックや障害者スポーツ大会って遠い存在なんですよね。

自分のブログにも書きましたが、私はかつて『車椅子バスケ』の選手である百萌子さんの自伝を出版したことがあります。おそらく東京パラリンピックに出場するであろう、強化指定選手です。その彼女をフジテレビの「スーパーニュース」が密着したいということで、長崎で行われた『長崎がんばらんば国体』の現場でテレビクルーたちと落ち合うことになりました。2014年の11月でした。

そこでのテレビ・ディレクターとのいざこざは是非ブログを読んで頂くとして、私はその国体で同時に行われていた『障害者スポーツ大会』の観客席からずっと競技を見学していました。

その時初めて、障害者スポーツをなかなかテレビが取り上げない理由を、分かった気がしました。

私はこの『障害者スポーツ大会』が実際のパラリンピックと同じようなプログラムで行われていたと認識していますが(違ってたらご指摘下さい)、なるほどこれじゃあ放送しにくいわな、と思ったんですね。

障害者スポーツにはもちろん『タイムを競う』とか『距離を争う』とかいう勝負といった概念もありますが、どちらかと言えば健常者の競技大会よりも「出ることに意義がある」という側面がめっちゃくちゃ強いんじゃん……と気付かされたんです。

百萌子さんは車椅子での100m走とソフトボール投げに出場しました。100m走では2位、ソフトボール投げでは見事に優勝しました。元々は健常者であり、事故で片足を失った彼女です。体格にも恵まれ、車椅子に座っているものの、きっちりと踏ん張ればボールも遠くに投げられます。そして「ももこー!」とエールを送れば、ニッコリとこちらへ笑顔とガッツポーズを返してくれました。

そう、彼女は足がないこと以外は、健常者なんです。

しかし、彼女と同じ競技に出場した選手の中には、このエールにさえ応えることができない、そしてソフトボールを前に放ることさえ非常に難しい選手がたくさんいました。もう一度言いますね。「同じ競技」にですよ。

私は正直その時に「これじゃあ勝負にはならないんじゃないかな」と思いました。ところが、です。

私が座っている観客席のすぐ近くに、この「出場するだけでもやっと(と思える)」の選手たちの両親・兄妹・祖父祖母がたくさんいて、

「○○ちゃ〜〜ん! やったあ、投げられたあ!!」

みんなハンカチを握りしめて、必死にその選手を応援していました。当の本人は分かっているのか分かっていないのか、表情では何を思っているのかは読み取れません。障害の度合いで言えば、きっと重いんだろうなということは分かります。喜んでいるようにも見えるし、困惑しているようにも見えます。障害について素人である私がそれを感じ取るのは不可能でした。

ただ、この家族が、とっても感動していることは十分に理解できました。それを見ていたら、関係ないのに自分まで馬鹿みたいに涙ぐんでしまいました。

家族が応援しているその選手は、おそらく先天性の障害があるのでしょう。そのクラスは「右脚がない」という組でしたが、その選手はそれだけではないようにも見えました。生まれてきた時、家族はいかにしてその事実を受け入れてきたのでしょう。私なんかが想像できない葛藤があったのではないでしょうか。あるいはなかったのかもしれません。だけど彼女は家族から愛情を持って育てられ、スポーツをやってみようかということになった。最初はきっとボールなんて投げられっこなかったけど、たくさんたくさん練習して、今こうして競技場で選手として出場するまでになった。やった、やったな! 飛距離なんて問題じゃない。今、目の前で活動的でいるお前が、父さんも母さんも嬉しいんだよ!!!!

妄想癖のある私は頭のなかで勝手に物語を作ってしまい、百萌子さんがグラウンドからキョトンとするくらい涙を流していたと思います。

なるほどなあ、こういう側面もあるのか、と思ったんですよ。とかくオリンピックなんて「出ることに意義がある」とか言う選手には「だから勝てないんだよ!」というような暴言を吐いてしまいがちじゃないですか。だけど障害者スポーツには勝負だけでは計れない選手たちのストーリーや出ることの意義がもっともっと重要なんだなと感じたんです。「本人」と「家族」と「友人」のための場でもあるんですよね。

そしてもうひとつ。

障害者スポーツという競技は、ものすごくプログラムが細分化されているということも初めて知りました。

百萌子さんが出場した車椅子100m走だけでも、右足がない・左足がない・右腕がない・左腕がない・脳性まひがある・ないといったように、細かく細かく設定されており、今スタートラインに立っているのは何の組かを瞬時に理解することがすごく難しいんです(これ分かりやすく書いていますが厳密に言うともっと違います)。

ここまで細かく別れていると、メダルの数も大量に必要になってきますし、100m走だけで優勝者が何人も存在することになるんですね。タイムもクラスでバラバラですから、その中から一番速い人を決める! というのは実質不可能であり、それはそれで無意味なことのように思えます。

百萌子さんが2位だった100m走を走ったのは5人くらいだったかな。しかも全員が同じ車椅子ではないんですよ。1位の人は競技用のめちゃくちゃ速い車椅子でしたし、百萌子さんは普通の車椅子で走りました。差は歴然で、百萌子さんと1位の選手との間は30m以上あったんじゃないでしょうか。これは機械の性能の差だと言えます。お金がある家庭や援助を貰える人は「速い機械」を手に入れることができるんですね。

とまあ、こういう感じですから、この障害者スポーツ大会のもっと上位版であるパラリンピックの、特に陸上競技は、放送したくても放送できないんじゃないかと思うようになりました。番組として、ちょっと分かりにくいんですよね。

ですから、おそらくマスコミは、何とかパラリンピックを見てもらおうと「速い選手」や「跳ぶ選手」をたくさん紹介している側面もあると思います。
もちろん、企業から金が出るということが大きいとは思いますが、それはそれとして、パラリンピックを盛り上げるということは悪いことではないと思います。

ただ、2020年がやってきて、多くの人が東京パラリンピックを観戦した時、驚くと思います。前述しましたが、とても分かりにくいからです。

その時、視聴者が困惑しないように、勝負だけじゃないのが障害者スポーツ大会だということを認識してもらう必要があると思います。

そろそろ「パラリンピックの正しい見方」といった番組があってもいいような気がしますね。

文◎岡本タブー郎