クラスで流行った謎のブーム「ウッ」を知っていますか? 『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第六回

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今の子供達がどうなのかは知らないが、1970年代後半~1980年代中盤の小学生はやたらと「同じもの」にハマり、学校でそれらを使って遊ぶ傾向があった。そして、そのブームは2週間~3週間で終わり、それから2~3か月ほどして、新たなブームがやってくるのである。

私が覚えている最初のブームは1980年のモスクワオリンピックを前にした「コカ・コーラヨーヨー」ブームである。

スケルトン状になっているものとそうでないタイプがあったのだが、五輪のマークとスプライトやコカ・コーラのロゴがついたものだった。これを休み時間に皆でやるのである。『ドラえもん』でものび太がヨーヨーの名手であり、それをジャイアンに取られてしまうというストーリーがあったが、これも影響し、ヨーヨーは私の周囲(川崎市)では大ブームとなった。

このモスクワオリンピックというのはいわくつきのもので、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議すべく、西側諸国が一斉にボイコットした大会にあたる。金メダルが期待された山下泰裕(柔道)と瀬古俊彦(マラソン)の無念たるや、と思うものだ。1973年生まれの私にとって初めて意識がある中での五輪観戦になるはずだったが、日本代表が出なかったものだからとんと思い出がない。自分にとっての初五輪は1984年のロサンゼルス大会にまで待たなくてはいけない。

そして、メンコである。もっと上の世代でメンコはブームだったのだが、当時の大人たちは「まさか1980年代の子供がメンコをするなんて……」と驚いていたが、子供というものは楽しいものはいつの時代でもやるものだ。
20枚100円だったか10枚100円だったかは覚えていないのだが、メンコの種類にはいくつかあった。ドラえもんの図柄があるもの、昔の紙幣デザインのもの、その他アニメなど様々だ。我々にとってメンコは相手から奪い合うというよりは、優れたデザインのカードとして、交換し合っていたように思う。

その点、1960年代の子供達と比べれば甘っちょろいものだろう。だが、時々メンコで勝負することもあったのだが、その時にビニールテープでグルグル巻きにし、全体を分厚く、そしてヘビーにする不埒者もいた。このメンコが強いったらありゃしない。結局これは反則技として禁止されていくのである。

次に来たのがケンダマである。ケンダマといっても、木でできたタイプではない。マクドナルドで250円払えば買うことのできた「マックボール」だ。プラスチックのスケルトンタイプのもので、その色のきれいさからも観賞用として扱える優れモノだった。休み時間になると、あちこちでトンカントンカンと音がする。前出のヨーヨーとは異なり、ケンダマは実力差が明確に表れるものである。

多くの子供たちが「小皿」に乗せるのもヒーヒー言い、「剣先」に玉をスポっとはめられたらなかなかの腕前、という中、「地球一周」やら「もし亀100回」といった技を駆使する者はクラスのヒーローになっていた。当時の子供達はマックボール欲しさにマクドナルドへ行くよう親にせがんでいたのである。

◆意味不明のブーム「ウッ」とは

他にも「スーパーカー消しゴム」やら「キンケシ」など様々なものがクラスでブームになったが、それらについては単体でも紹介できるネタなので、ここでは一旦置いておくが、私が今でも不可解だと感じるブームが「ウッ」である。

おそらくこの「ウッ」は私の転校先である東京都立川市での呼称であり、もしかしたら他の地では別の名前で呼ばれていたかもしれない。いや、こんなものは流行っていなかったかもしれないが、「ウッ」が何かといえば、使い捨てライター(通称「100円ライター」)を分解し、「着火スイッチ」を取り出す。

これを学校に持って行くのだ。着火スイッチは火花を起こすものだが、これをクラスメイトの背中に押し付けてボタンを押す。すると火花が出てきて体に衝撃が与えられる。この際に子供達が「ウッ」という呻き声をあげるため、いつしかこの器具のことを「ウッ」と呼ぶようになったのである。

不思議なことに、こうしたブームに乗っかり学校に持ってくるのは40人のクラスの場合、男女20人ずつだとしたら男が12人で女が5人ぐらいという点である(さすがに「ウッ」は女は持ってこなかった)。そしてこのメンバーは毎回同じである。私は「何も持ってこない」派であり、クラス内では彼らが羨ましくてたまらないのだが、腕が追い付かないため、密かに親から買ってもらい、家だけでヨーヨーやケンダマを楽しんでいた。「ウッ」は自宅でやるわけにはいかないのでこれはやったことがない。(文・中川淳一郎)