病み垢はわたしのセーフティーネットだった。”死にたい”の背景に目を向けたい|成宮アイコ・連載 第九回

なぜ、わたしと死ななかったんだろう

本来は恋人同士が「付き合ってから何日?」を数えたりするカウントアップアプリを、もう数年もスマホのホーム画面に貼り付けています。毎日、増えていく日数。わたしがこのアプリで数え続けているのは、恋人と付き合った日数ではありません。

「アイコはわたしの片割れだから」
そう言った彼女は、わたしにとっても自分の片割れのような存在でした。鬱に悩まされていたわたしたちは、人にはとても言えような心のドロドロを1日に何度も送り合い、いわば共依存のような関係になっていきました。それまでわたしはほぼ友達がいなかったので、彼女の存在は奇跡のようでした。ふたりだけの秘密をたくさん作りました。お互いしか知らないことがある、ということはわたしたちのつながりを強くしました。
今思えば、今日はなにしている? のような気軽さで、「消えたい」「いなくなりたい」と送り合うことは、生きているよね? という確認作業にも似ていた気がします。あるときは、むりやり自己肯定感を高めようとふざけながら、「あなたは生きているべきひと」とお互いに言い合ったりもしました。今思えば、それぞれがそれぞれに、真剣にそう言っていたのだと感じます。

しばらく連絡がとれなくなり心配をしていたら、「OD(オーバードーズ:過量服薬)をして入院をしている」と、言われたことがありました。骨折したのかと思うほど頑丈に巻かれた肘から手首までの包帯。「薬をね、お茶碗に「頑張ったね」って言いながら入れていったの。ほんとうにご飯みたいだったよ」そう言って笑う様子を見て、わたしはなんだか焦りに似た感情がこみあげました。
ひとりでいなくなろうとしないで。相手への心配よりも自分のさみしさが勝ってしまった瞬間でした。

このように、わたしたちはたびたび空回りをしました。「一緒にいてほしい」「ひとりにしないでほしい」が言えないだけで、なぜこんなにさみしいのでしょうか。お互いに歩み寄りきれないことには気づいていました。だから、それには気づかないふりをしてよく手を繋いで歩きました。明け方の新潟、夜のドンキホーテ、深夜の歌舞伎町、またねと手をふるまでの駅のホーム。

その後、彼女は引っ越しをして地元から離れ、わたしも転職をし、だんだんと会う機会が減りました。いったん距離が離れてしまうと、なぜだかメールも送りにくくなります。交友関係もお互いが知らない人ばかりになりました。どこに住んで、何の仕事をしているのかもわかりません。寂しくはありましたが、そのほうが良いような気もしました。わたしたちしか知らない内緒が増えて安心をする分だけ、このままふたりだけでいたらいつか死んでしまうかもしれない予感もしていたからです。

ある日、ずいぶん久しぶりに彼女から電話がきました。仕事中だったのですが、出なくてはいけない予感がして通話ボタンを押します。電話の相手は、彼女のご家族でした。

その日から、わたしのカウントアップが始まりました。なぜ、と思うぶんだけ、離れてしまった距離を感じました。なぜ、と思わなくてすむように、もっと具体的な苦しい理由をお互いに話しておけばよかった。ねえ、あなたがわたしにそう思ってくれていたように、わたしも本気で思っていたんだよ。「あなたは生きているべきひと」と。でもこんなの、後出しじゃんけんです。人の命は、戻りません。

申し訳ないと思わずに、「死にたい」を言ってもいい場所

つらさを話せる人がいなくなったわたしは、SNSに裏アカウントを作りました。いわゆる病みアカウント(病みアカ)です。朝も夜も、ただひたすら愚痴だけをこぼし続けたその病みアカで、自分と似た人たちとたくさんやりとりをしました。おそらくほぼ全員、メインで使用しているアカウントではなく、こっそり作った病みアカのようでした。

心配をかけてしまうと申し訳ない、自分なんかに時間をとらせて申し訳ない、かまってほしいだけって思われるだろうし申し訳ない、あいつ暗いことばかり言ってキモいって思わせたら申し訳ない、気をつかわせてしまうと申し訳ない、申し訳ない申し訳ない申し訳ない。
語尾にすべて「申し訳ない」がついてしまう現実世界ではとても口に出せないつらさを、どれだけ言ってもいい場所。本音を吐露できる場所。それが病みアカでした。

そこを開けば、いつだって誰かがさみしがっていて、現実世界では「そんなことくらいで」と言われそうなことで悩み苦しんでいました。会話の語尾が自分にだけきつかった、無視された気がする、うまく会話が返せなかった……これらに傷ついても誰もバカにしません、「そんなことくらい」ではないからです。そして、「そんなことくらいで」と言う人も、もしかしたらSNSの中では病みアカを持っているのかもしれないと思うと、なんだか胸が押しつぶされそうになりました。

『もういなくなりたい。消えたい』とつぶやくと、『わかる、死ねないから消えたい』『無になって透明になりたい』と返事が来ます。同じように誰かの『もう死にたい』には、『そういう日ある』『同じ』と返します。
自分以外の誰もがうらやましい、自分じゃない誰かになりたい、生きていてもいいことがないような気がする、起き上がれなくてお風呂に入れない、将来がなにも見えない。そのたびに、性別も本名も知らない誰かがくれた、『その気持ちわかる』には数え切れないほど救われました。生身では言えないつらさや汚い言葉を、病みアカでつぶやき続けること、それを否定せずに共感してもらえることは、日常でつらいことがあっても、「スマホを開けば吐き出せる場所がある」というお守りのようなものでした。
うっかりメインアカウントと間違えて、病みツイートを誤爆しないように、という注意をはらってでも必要だったのです。

突然この病みアカが削除されてしまったらもう頑張れなかったかもしれません。頭の中にある「死にたい」は膨らんでいき、体中をめぐり、いつか突発的に実行をしてしまったような気がします。当時、新しく「死にたい」を気軽に言える場所を探す心の余裕なんてありませんでした。

死にたいで繋がる安心が、やがて生きたいに変換されるまで

2017年、SNSの #自殺募集 というハッシュタグを利用した殺人事件が起こり、関係閣僚会議では「ネットで自殺願望を発信する若者の心のケア対策」が強化されることになりました。良いことです。しかし、それと同列で、「自殺に関する不適切なサイトや書き込みの削除や制限の強化」も指示されました。

この連載・第一回「軽々しく”死にたい”と言える場所をつくろう」の繰り返しになってしまいますが、サポートをするときに、”死にたい”という言葉を単体で見るのではなく、”死にたい”の背景に目を向けてほしいと願っています。

今すぐに死にたい人に、「死なないでほしい」と言ってもその人の心は動かないでしょう。むしろ「何も知らないくせに勝手なことを言うな」と怒りや悲しみを抱くかもしれません。かける言葉のない無力感をなんども体験しました。ですが、死にたくなるほど耐えられない理由が解決したとしたらどうでしょうか。(第一回「軽々しく”死にたい”と言える場所をつくろう」)

 生きづらい原因は、家族、学校や会社での人間関係、金銭面などいくつかが重なっている場合がほとんどだと思います。その原因に注目をしてみると、物質的・制度的にひとつずつ解決に向かうこともできるかもしれないのです。実際、わたしは「自立支援医療」(※長期の通院が必要になる精神科医療費を軽減することができる制度)を使い、生活を少し立て直すことができました。金銭面が落ち着くと、通院への不安も落ち着きました。ただし、その制度を知ったのはSNS、3年以上通院をした後でした。

メンタルの調子が悪いとき、自主的になにかを調べたりする気力はでませんし、問題自体にも気づけないかもしれません。そんなときに、使える制度を教えてもらうことや、同じ気持ちの人とつながることは、踏みとどまる理由になるかもしれません。

大切なのは、規制よりも解決であってほしいのです。
誰かの「死にたい」を削除することではなくて、本人にとって「死にたい」と思う必要がなくなる状況です。ひとつがダメになっても、選べる手段がまだたくさんあってほしい。死ななくてはいけないほどの状況・死んだほうが楽だと思うほどの状況が解決できたとしたら、病みアカ自体の必要がなくなるからです。

また、この件については今後書かせていただこうと思いますが、わたしが思っている以上に、生きづらさの問題は世間に受け入れられていないのだと感じたできごとがありました。わたしたちが日々、吐き出さずにはいられない “規制されてしまいそうな言葉” はまぎれもない本音、事実です。なかったことにはできないわたしたちの感情です。

あのころ、わたしの病みアカと仲良くしてくれた人に生き伸ばされました。心から感謝をしています。だから今日も、死にたいで繋がる安心がやがて生きたいに変換されるまで、現実ではとても言えないネガティブさはこうしてSNSに吐き出していようね、と書き込みをしてしまうのでした。

(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第九回)

文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya

赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。