あなたの神さまはわたしには関係ないけれど、同じ世界で生きている。平成に取り残されずにいる自信がない|成宮アイコ・連載

DijKD0GU0AIk-47.jpg

先生たちが来なかった朝の地獄

あの日、わたしはまだ子どもでした。

常々、神さまなんていない、と思っていたのでおなかが痛くなっても、「神さま、もう悪いことしませんからおなかの痛みをなおしてください」なんてトイレの中で祈ったことはありませんし、ティーン誌の後ろのページの星座占いなんて気にしたこともありませんでした。当時、クラスメイトがつけてたプロミスリング(手首につける紐のブレスレット、切れたら願いが叶うと言われていた)も、人気のキャラクターが刺繍されたお守りを買う初詣の行列も、まわし読みされるおまじないの本も、全部がどうでもよかったのです。
だって、神さまがいたとしたら、わたしの毎日はもっと平和だっただろうし、仲のいい家庭で暮らせていたはずです。

その日、チャイムが鳴って、朝の会が始まる時間になっても先生は来ませんでした。
クラスのまとめ役の子が、となりの教室をのぞきに行くと、どうやら同じように先生は来ていないようです。「先生がいない」という非日常の雰囲気にクラス中はざわめき、あちらこちらで歓声があがります。学級委員の男の子が、「静かにしてください!」と声をあげてから、教務室に様子を見に行きました。

集団になじめない癖がついていたわたしは、「大人たちがさらわれた!」とか、「この学校だけ時が止まった」とか、はしゃぐクラスメイトの誰にも声をかけず、「もう家に帰ろう」と、教科書をカバンに詰め替え、教室から出ました。大勢が楽しそうにしている中で、自分だけ誰に話しかけることもできない状況のさみしさと、盛り下げてすみませんという気持ちは、当時から変わりません。
下駄箱に向かう途中、どうしても気になって教務室を覗くと、テレビのまわりに先生たちが集まっていました。大人たちは誰もさらわれてはいないし、ちゃんと先生たちがいます。心の底で少しだけ、非日常にワクワクとしていた気持ちがしぼんでいくのを感じました。

その日、地下鉄サリン事件を起こした首謀者が逮捕されたと知ったのは、家に帰ってからでした。

小学生にとっては、学校と家だけが自分の知りうる世界です。
歩いていける範囲が世界。まわりを見渡して、目で見える範囲が世界です。テレビのチャンネルをどこに変えても、教務室で先生たちが見ていたのと同じ場面しか映りません。いま、目に見えている見慣れた家と、数時間もして祖父が帰宅すれば浴びせられるだろう罵声と、だいきらいな学校と、春の日差しがさすただ一本道の通学路と、テレビがうつす地獄のような世界は繋がっているのだと強く実感します。
もしかしてこの世界は、終わるのかもしれない。なんとなく、クラスメイトのことを思い出しました。結局、朝の会はあったのだろうか。

テレビを消しても現実は天国にはなりません。やはり、神さまなんていないよな、と思いました。

37205105464_466f2fe8be_z.jpg

本屋さんの自動ドアはわたしを感知してくれる

小学校・中学校・高校と、90年代カルチャーを正面から受けて、順調に不登校ぎみになりました。子どもの世界はせまいので、もてあました時間でどこか遠くに行けるわけでもなく、街の本屋さんをはしごしました。本屋さんはいつも誰かが立ち読みをしているし、レジには店員さんがいます。
学校のように、ドアを開けて教室に入っても透明人間のままではなく、本屋さんの自動ドアはわたしを感知してくれます。立ち読みの列にまぎれればわたしはいてもいなくても同じで、レジに本を持っていけば店員さんが価格を告げ、お金を受け取り、ブックカバーをかけてくれます。それだけのコミュニケーションに、わたしは満足していました。

本屋さんに通うことは、世界と繋がる手段だったようにも思えます。
ひとりで部屋にいると時間が止まった感覚になるので、進み続けるいま現在から、そして情報から、切り離されないようにページをめくります。しかし、誰かと直接会話をしてやりとりをするわけではないので、読んでも読んでも、知っても知っても、現実には追いつかない気持ちがして焦るだけでした。

そのせいか、情報を取り入れなければという焦りが暴走し、雑誌まで部屋の中にどんどん増え続け、積み本ならぬ積み雑誌までも、何本もタワーと化していました。BURST、TOO NEGATIVE、危ない28号(わたしは危ない1号よりも28号でした)、Quick Japan、米国音楽、スタジオボイス、relax、オリーブ、MARQUEE、FRUiTS、アウフォト…グラングランと揺れるそのタワーを眺めていれば幸せでした。

しかし、「これを読んだからといって、クラスメイトと話しができるわけではない」と考え始めるとむなしくなり、ときどき、その積み本を倒してしまいたくなりました。

神さまは人間だったし、ギャルになろう

このころから、音を鳴らしていないイヤホンをつけて歩くようになりました。

音楽を聴いているふりをしていれば、誰も話しかけてこないし、誰にも話しかけずにすむからです……というよりも、人に声をかける/声を発することが極端に苦手だったので、それができない言い訳にはぴったりでした。

本ばかり読んで言葉や文字に執着していた反面、聴いていた音楽はいわゆるテクノミュージックばかりでした。中でも「warp」「rephlex」というレーベルが特に好きで、お小遣いとバイト代のほとんどをこのレーベルのCDにつぎ込みました。言葉はもうたくさんだったからです。
声が気持ち悪いと言われたので、できるだけ低い声でしゃべろうとすると、もともと小さい声がますます小さくなります。すると今度は、「聞こえない」「ぶりっこ」と言われ、結局、会話すること自体を諦めはじめたのもこの頃でした。

言葉はうんざり。それでもコミュニケーション欲求は消えず、何種類もの日記を書いていました。中には妄想の日記もあり、現実にはいない成宮アイコを作り、楽しい毎日を綴ったりもしました。言葉はうんざりでしたが、苦手な声を出す行為は書くことには不必要だったので、手段としては最適です。

ちなみに、その年のフジロックで、一番好きだったリチャード・D.ジェイムスというアーティストを自分の目で見ました。神様のように好きだったひとが、ちゃんと人間として生きていたということは、なんだか衝撃的でした。

その衝撃から、なぜか急に、「まわりにうまく溶け込まなければ」という気持ちになり、集めていた蛭子能収さんのマンガを全て売り払い、日焼けサロンに通ってギャルになりました。
しかし、いくらギャルになろうとも、自分の精神状態が安定するわけもなく、家の問題でパニックを起こし、外に飛び出して自動販売機の影でうずくまってしまったことがあります。派手な服でうずくまるわたしの目の前を、いろんな人が通り過ぎます。そのなかで、「え〜、マジっすか、大丈夫すか〜」と声をかけてくれたギャルの集団がいました。もちろん大丈夫ではなかったのですが…ですが、大丈夫になりました。同じ学校だったギャルの子たちは、「病んだらこれ聴きなって、神だから」と浜崎あゆみのCDを貸してくれました。

見た目から入ったからといって、友だちができたり自分の性格が変わるわけはないので、ギャルのふりはもちろん長くは続きませんでしたが、「マジ、歌詞がいいから!」と教えてくれた子たちと会話をするようになり、なんとなく、人間味を意識できるようになってきました。

髪を黒くもどし、ギャル服を捨てたかわりに、売り払った蛭子能収さんのマンガを買い戻すことをはじめました。ギャルにはなれませんでしたが、このできごとをきっかけに、浜崎あゆみの存在がいまでも好きです。

DSC00681.jpg

わたしとあなたの神さまは違うけれど、

ひとにはそれぞれに神さまがいるようです。

だけど、いくら想っても、自分と神さまとは同化できないし、全て解決してくれる神さまはいません。自分の人生は自分しか動かすことができないからです。でも、そのきっかけは自分以外の誰かが作ってくれたりします。それを、「神だから」という言い方をするのかもしれません。
わたしにCDを貸してくれたギャルの子にとっては浜崎あゆみが神で、言葉なんてうんざりだと思っていたわたしにとってはリチャード・D.ジェイムスが神でしたが、「マジっすか、大丈夫すか〜」と声をかけてくれたあのギャルの子もわたしにとっては神のような気がします。

わたしたちは、それぞれが勝手に神さまを作りあいます。予想もしないところで、誰かの神さまになる瞬間があったり、誰かを神さまにすることもあるかもしれません。しかし、今日の神さまは、明日も神さまではないかもしれない。勝手に、「神だから」と呼ぶくせに、それはほんのひとときだったりします。そのときそのときに、自分に都合のいい神さまを選び、人生を続けていければいいと思っています。

人生の思い出の大半である平成も、そろそろ終わるそうです。

あのころ、あんなに積み重ねていた本たちは、一体どこへ行ってしまったのか。売ったのか、はたまた捨てたのか、もう思い出せません。だいきらいな学校の教室を思い出そうとすると、元気な声がする明るいイメージが浮かんでしまいます。ただ、そこに自分の姿は想像できません。過去には一瞬でも戻りたくないのに、思い出そうとすると自動補正がかかってしまうのです。

あの日、テレビがうつした地獄を作り上げた集団はなくなり、死刑が執行されても、定期的に特集番組が組まれ、被害者の方にとって事件は進行形のまま、消えて無くなったりはしません。日常は続き、世界は終わらないからです。

結局、なにも変わらなかった世界で、わたしは短歌を書きました。

『世界など変わらなくても心臓に希望のはしっこ1ミリがある』

そういえば先日、某宗教施設の聖堂を見に行ってきました。巨大な建物を見るのが好きなので、いろんな施設をときどきまわっているのですが、入り口の看板に書かれていたありがたい(だろう)言葉はまったく意味がわかりませんでした。建物がかっこいいなぁ、とポカンと眺めていたわたしの横を、白いブラウスを来た上品なおばあさんが通り、何かを唱えて手を合わせました。数十秒ほどそうしたあと、何度かうなずいいて道をひきかえし、わたしに気づくと微笑んで会釈をして歩いていきました。

あなたの神さまはわたしには関係ないし、わたしの神さまはあなたには関係ないかもしれない。けれど、こうして同じ世界で生きています。おばあさんはわたしに気づき、わたしもおばあさんに気づきました。お互いに視界に入り、交差してそれぞれの年齢の分の思い出を背負って、自分の人生を生きてきました。

あたらしい元号になっても、わたしたちは同じ世界で生きていくのです。

(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第二十回)

文◎成宮アイコ

https://twitter.com/aico_narumiya

赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。