2025年の大阪万博開催決定のニュースを見ながら「昭和の改札」を思い出す|中川淳一郎

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 2025年の大阪万博開催が決定したが、テレビ番組では大阪発祥のものを次々と紹介し、そのイノベーションの力を称賛していた。「回転寿司」「即席めん」に加え「自動改札」が紹介されていた。ここでは昭和の「改札」を紹介する。

 今でこそ基本的に駅の改札は自動改札だが(福井県では今年9月から、などの例があるのは分かってる)、昭和の時代は「切符切りのおじさん」が改札口におり、入場時「改札鋏」をカタカタと鳴らしながら切符を差し出す乗客を待ち構えていた。降りる時は、きちんと鋏の跡がついているか、駅名と金額は果たして正しいか、といったことを一瞬にして判断するのである。鋏の跡は駅によって異なり、これらをコレクションするのも鉄道少年にとっては楽しみの一つだった。欲しい場合は改札で「これ、持って帰っていいですか?」と聞くのだ。

 この前、20代の若者と話していて「それって何ですか?」と聞かれたことがある。それは「キセル」だ。要するに電車の不正乗車のことだが、切符をなくしたことにし、駅員に申告するやり方がその一つ。純真そうな子供であったら「いくら分買ったの?」と聞き、正確な金額を言えたら駅員によっては通してくれることも案外あった。

 また、定期券でキセル乗車をする手法もあった。たとえば、JR中央線の立川駅からJR山手線の田町駅まで通勤する人がいるとしよう。この時に、両駅の隣一駅分ないしは同額料金でより遠くまでいける駅行きの定期券を購入するのである。現在の運賃に換算してみるが、行きの「立川→国立」は140円。帰りの「田町→浜松町」も140円で合わせて280円である。キセルをすると実際の「立川→田町」は640円のため、ここで360円を節約というか、不正に乗車するのである。

 立川で「立川←→国立」の定期を見せ、田町で「田町←→浜松町」の定期を改札の駅員に見せ、まんまと改札を突破し、ウシシシシシ、今日も360円得したぜ。なんてことを立派な大人のくせにやる不埒者も存在していたのである。

 自動改札の時代になれば、入場記録が定期に残るため、こんな技は使えなくなった。しかしながら自動改札の初期の頃は盲点があった。それは回数券を使ったキセルである。学生の中には猛者もおり、鈍行で東京から京都へ青春18きっぷで行き、帰りは京都から初乗り料金でJR京都線の新快速等の在来線に乗る。そのまま大垣で乗り換え、延々在来線を乗り継ぎ、自分の最寄り駅へ。ここで最低料金の回数券を取り出し、それでまんまと改札を突破してしまうのだ。自動改札の精度も上がり、この極悪技も使えなくはなったが、今でもアイドルグループのライブにあたり、新幹線でキセル補助をする者が出るといった犯罪が時折報じられる。

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 昭和の時代、キセルをする者にとっての恐怖が検札である。「きっぷを~拝見します~」と連結部分のドアを開けて車掌がやってきた瞬間、「早く次の駅に着け!」と念じながら、敵を待つ。或いは平静を装って車掌が来るのと逆方向の車両に移ろうとする。そのため、キセルを試みる者はなるべく中央の車両に乗ることを心掛けていた。車掌が両側から追い詰めるパターンの検札もあったが、これもキセル者にとっては恐怖であっただろう。

 椎名誠著『さらば国分寺書店のオババ』には、国鉄・国分寺駅に「国分寺カバ」と呼ばれるキセル発見の名人がいたことが記述されている。

〈名前は知らないけれど、武蔵野美術大学や一橋大学の学生どもに、キセル発見の恫喝鬼として恐れられている国分寺駅の古カブ職員、通称「国分寺カバ」というあのいかにも一見、人畜無害、その実、つねに油断なく学割定期を中心に1.5メートルのレーダーを張り巡らせている中年まっさかりのおじさんの顔など痛いほどくっきりとおれのまぶたに浮かんでくる〉

 こうした攻防もめっきりと減ったわけで、自動改札を開発した大阪が7年後の万博で何を見せてくれるのか楽しみにしている。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)