プロ野球開幕 平成の暴言 渡辺恒雄「たかが選手が!」発言の真意を改めて考えてみた

こうした状況だったが、巨人の人気が凋落し、日本テレビを中心とした巨人戦のナイターは滅多に見られなくなったが、この時期を経て実は野球人気は上がったのでは、とも思うようになった。いや、テレビを通じて観戦する人は減っただろうが、それは、「気まぐれでいつ消えるか分からないにわかファン」のような存在ではなく、心から野球が好きな人が野球で見るようになったのだ。

何しろ、今や神宮球場の前を偶然歩いていた時にカクテルライトの灯りと歓声を聞いて「野球見ながらビール飲みますかね」なんてことはなかなかできない。プロ野球のチケットは大人気で、安易に取れないのだ。かつてのロッテの本拠地・川崎球場の閑古鳥っぷりなどは考えられない。人々は決して安いとはいえないチケットを購入し、球場に足を運び、グッズを買い、飲食をするのである。さらには、試合を実際に観に行けない日のためにDAZN等のスポーツ中継サイトにも登録をする。

こうした人々が熱心に平成の中期~後半に対してプロ野球を活性化させ、年俸も着実に上げて行ったのだろう。そう考えると渡辺恒雄氏がこだわった放送権料の上昇よりも熱心なコアファンを多数抱えることになり、そうした人々が子供や孫も球場に連れて行き、コアファンをさらに作る連鎖を作ったのでは、とも思うのだ。

昭和から平成初期の頃は日本ハムファイターズに西崎幸広というイケメン投手がいた。彼と、阿波野秀幸(近鉄)、渡辺久信(西部)、星野伸之(阪急/オリックス)は、その端正な顔立ちから「トレンディエース」と呼ばれ、絶大なる人気を女性を中心としたにわかファンから獲得した。

当時彼らのプロマイド等グッズは多数売れたが、結局コアファンとして定着することはなかった。そうした意味では、2004年の渡辺恒雄氏の「たかが選手が」発言は今のプロ野球の発展に大いに貢献したのでは、とも考えられるのである。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)