金嬉老事件をご存知か 「ライフル立てこもり事件」の寸又峡温泉は秘境化していた
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事件の経緯について追記してみよう。
金嬉老を駆り立てたのは、在日ゆえに受けた理不尽な差別体験だった。戦前戦後、彼は在日故の差別や貧困に苦しむ人生を送ってきた。普通の人なら、それを地道な努力で乗り越えようとするものだ。しかし彼は犯罪に手を染めることで乗り越えてきた。本事件を起こすまでにすでに前科7犯を数えていた。
さらに彼は、立てこもり事件の直前、借金の取り立てをするヤクザ2人を同県清水市のクラブで殺害している。犯行に使った、望遠スコープ付きのライフル銃1丁のほか、約500発の銃弾、73本のダイナマイトを持って、寸又峡温泉へ移動、ふじみや旅館2階の6畳間に立てこもった。そして立てこもった翌日の21日だけで63発のライフル弾をぶっ放し、6回、ダイナマイトを爆発させている。
そうした暴力的な行動と裏腹に彼は、在日のヒーローとして世の中に祭り上げられていく。マスコミや警察を立てこもり現場に招き入れ、在日の人間が受けてきた差別を告発したからだ。そんな彼の発言に呼応したのが、進歩的知識人たちだった。彼を支持する声明を発表し、金嬉老本人に会っている。
事件を描いたいくつかの書籍や記事に目を通した上で、寸又峡温泉を訪れたわけだが、「ヒーロー扱いされるなんて信じられない」――という金嬉老に対しての僕の評価は変わらなかった。差別を受けても他の人は犯罪になんか走らないし、真面目に人生を営んでるじゃないか。人を何人も殺して温泉に立てこもった人がヒーロー扱いされるんなんて、間違っているのではないか。
実際僕が泊まった宿の女将さんは苦々しげに、こんなことを言っていた。
「あの男は義父が走って逃げるときに銃で打ったと聞いてます。でもその後、彼はあれは「電柱を狙って打っただけだ」と弁明していたんです」と。
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金嬉老は立てこもりから88時間後に警察に逮捕され、1999年まで刑期を務めた。その後日本には二度と入国しないと言う条件で同年7月、韓国に移住する。祖国では「差別と戦った民族の英雄」として迎えられた。
そんな彼だったが、まもなく馬脚をあらわすことになる。2000年9月までに窃盗と私文書偽造、殺人未遂に放火と、次々に犯罪に手を染めた末に逮捕、人気は地に落ちた。そして2010年に韓国で亡くなっている。
チェックアウトした後、2012年に廃業した、旧ふじみや旅館の建物の前で佇んだ。温泉街の坂道を上ってくるカップルや家族連れは、宿だった建物には誰も一瞥もせず、楽しげに通り過ぎていった。半世紀前に全国を揺るがせた現場だということに、気が付いて写真を撮る人は誰もいなかった。僕以外に事件について、関心を示す人は皆無だった。そのことにもどかしく思った。
と同時にこうも思った。彼のような酷い人物がヒーローとして祭り上げられないためには、こうして風化していくことがむしろいいのかもしれないと。(文・写真@西牟田靖)