幻の名勝負・アントニオ猪木vs滝沢秀明 私が『教養としてのアントニオ猪木』を書いた理由 │プチ鹿島

アントニオ猪木が教えてくれたものは数えきれない。「教養としてのアントニオ猪木」(双葉社)。

プチ鹿島です。10月18日に『教養としてのアントニオ猪木』(双葉社)を出版しました。タイトルは教養本ブームに対しての私のささやかな抵抗です。いま「教養としての○○」という本はやたらと多い。しかしですよ、教養ってそんなに簡単に手に入るものだろうか?

私にとって「アントニオ猪木」や「プロレス」は考えれば考えるほどわからないジャンルだった。その結果、考えることが楽しいと思えるようになった。もしかしたらそれが教養への第一歩かも?とも思えた。あの試合はなぜああなったのか、あのとき猪木は何を考えていたのか? そして政治家・猪木も謎だった。あれだけ北朝鮮に行った理由はなぜか。それだけではない。今から30年ほど前の記事を調べていたら、旧統一教会が猪木に接近という記事を見つけたのだ。