小倉智昭さんと親交深かった画家・俳優庄司哲郎が思い出を語る

9日に逝去した小倉智昭さん(77)と同じ芸能プロダクションに所属した時期もあり、小倉さんを「兄貴」と慕っていた俳優・画家の庄司哲郎が、小倉智昭さんを偲んだ。

小倉さんは、庄司の絵がお気に入りだった。
「庄司が描いた肖像画を遺影にしてくれと言ってあるから頼む、と言ってたな…。俺の絵を世界一コレクションしてるのが小倉さんだよ。ありがとう」(庄司)

小倉さんは、ジョン・レノンが好きだった。
「『ジョン・レノン(の命日)が12月8日だろ。俺はいつなんだろうな、庄司?』『ジョン・レノンと同じじゃ申し訳ないなんて言ってんなら1日ずらせば?(笑)』なんてジョン・レノン記念館に絵を貸し出す時に冗談を言ったのが、ホントになっちまったじゃんか! 笑えねーぜ、兄貴」(庄司)

奇しくも、命日のみならず、時間まで。
「小倉さんから頂いた腕時計が、小倉さんが亡くなった日時で止まってました。亡くなった時間を人から聞いて知り、驚きましたよ」(庄司)

庄司さんが小倉さんら頂いた腕時計。

庄司が最後に小倉さんと話したのは、シンガーソングライター伊丹哲也のニューアルバムのデモ音源を小倉さんに聴かせた日だった。

左・伊丹哲也さんと右・庄司哲郎さん。

小倉さんと同じ5月25日生まれの伊丹は、「伊丹哲也 & Side By Side」として1980年にメジャーデビュー。第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト出場し、『街が泣いてた』でグランプリを獲得した。

「伊丹哲也!『街が泣いてた』の伊丹哲也か?俺と誕生日一緒かー。じゃあ伊丹哲也に俺が元気になるまで、庄司の事はバトンタッチだな。元気になったら伊丹さん逢わせてくれな。一緒にご飯食べよう。伊丹さんに宜しく伝えてくれな庄司!」が庄司にとって最後の小倉さんの言葉となった。

26年ぶりにリリースされたニューアルバム「晴天と武器」のサイン入りのCDを小倉さんに渡すの楽しみにしていたが、叶わなかった。小倉智昭さんのご冥福をお祈りする。(編集部)