傑作か問題作か 伊藤詩織監督『Black Box Diaries』を見てジャーナリズムとは何かを考えた
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アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネート。もし受賞したら快挙であるが、惜しくも逃してしまった作品があります。映画評論家の町山智浩氏はTBSラジオ「こねくと」で大絶賛。専門家から見ても、素晴らしい出来であった事は間違いないのでしょう。ジャーナリスト・映像ジャーナリスト伊藤詩織さん監督作品「Black Box Diaries」が非常な評価を受けています。
と、同時に伊藤さんの弁護を担当していた西広弁護士、佃弁護士が記者会見を開きました。YouTubeにも挙がっていましたし、20日、日本外国特派員協会で会見を開きました。痛切な内容でした。理解者であり支援者であった、弁護士の言葉です。公開した映画は西広さんの言葉を借りれば「心をずたずたにされた」。
既報ではありますがこの映画の問題点を主に3つ挙げていきます。
1・伊藤さんと元TBS山口敬之氏を乗せたタクシー運転手の証言。「伊藤さんは、降ろして。駅に行ってください」と2回か3回は言ったと証言しています。重要な証言です。かつて品性下劣な漫画家やネット右翼の言っていた「枕営業大失敗、きゃはは」という言葉は完全に裏も取れない事を真実かのように言い、笑いものにしました。「二次被害」と言います。
2・ホテルに着いた時の防犯カメラ映像。山口氏が先にタクシーから降ります。伊藤さんは正体不明に陥っているのか、なかなか出てきません。ようやく山口氏が引っ張り出すように降ろして、今度はホテルのロビーの監視カメラ映像に代わります。伊藤さんの足取りは完全に一人で歩けない状態でした。本人の意思でホテルの部屋に行っていない事が分かる強烈な映像でした。
3・担当刑事が伊藤さんに、「上から」という表現で山口氏の逮捕状が出ない事を教えてくれます。当時、安倍晋三元首相と仲の良かった山口氏に後の警察庁長官中村格氏に何らかの「圧力」「忖度」があった事を示唆するような場面です。
これに全て問題があったわけです。1は運転手さんの顔がはっきりとわかる角度で撮っており音声も加工されていません。
2は西広弁護士によれば民事裁判の際、ホテル側から裁判以外では使わないという約束で貸し出した、という事です。
3も公務員の守秘義務に抵触している可能性があり、声も加工しているようには聞こえませんでした。
つまり、貴重な証言・動画をダダ漏れしてしまっているのです。
西広弁護士は、性被害の重大さを訴え「今後、性被害事件が起きた時証言者が二の足を踏んでしまう可能性がある」として伊藤さん以外の今後も起こるであろう性加害事件への悪い影響を危惧していた会見でした。
僕は編集者ではありますが、ジャーナリストとの付き合いも多く実際、裁判などで政治家、企業から「この記事は誰が書いたんだ」「ネタ元を出せ」と言われたとこは何回もあります。拒んだら「君の逮捕もあるから」とか「そんなことを言うと抹殺するぞ」と言う事も面と向かって言われました。脅迫に近いものでした。それでも出してはいけないのが、ジャーナリスト(僕は編集者ですが)です。
ただそんな事を守っていては伊藤さんは国家と闘っているのだから、ホテルの映像なども出しても仕方ない」という意見も見られます。
そうでしょうか。伊藤さんのこれまでの行為はリスペクト以外の何者でもありません。事件が起きたのが2015年4月。それから10年も闘ってきたわけです。そのリスペクトは変わりません。
しかし、情報源の秘匿は守るのが「ジャーナリスト」と名乗るのであれば、例えれば信号は青にならなければ渡れないと同じくらい、当たり前のルールです。ジャーナリストとしての矜持でもあります。この矜持があるからこそ、ジャーナリストは対象と闘う上で悩む訳です。
映画「シーセッド」も性被害を受けた女性は、話はするけれど名前など公表したくないと言っていましたね。そこを何とか口説き落とす熱意。ジャーナリストがジャーナリストたるゆえんと言っても良いでしょう。
もう一つ。
ここ20年以上前から記事に関してはすぐに提訴するという風潮になりました。ジャーナリストであるならば、ペンで闘って欲しかった。論争でどちらが正しいかを可視化して欲しかったというのがあります。伊藤さんは東京新聞を提訴していますが、この風潮は僕は苦々しく思っています。紙でもネットでもテレビでも、相対して論争をする。言論の自由は表現の自由でもあり、そこには批判の自由も包括されます。どちらが正しいか、ジャッジするのは読者です。第三者です。それがジャーナリストが最も大切にすべき言論の自由かと思っています。
百歩譲って、政治家や芸能人が提訴するというのなら分かります。彼らは言論人ではないですから。けれど伊藤さんはジャーナリストですから、同じジャーナリストの東京新聞望月記者と言論で法廷でなく言論の場で闘うべきでした。
「論争」というものが、この業界からなくなって(完全にではないが)久しいですが、悪しき慣習にとらわれないで欲しかった。そしてジャーナリストと名乗るのであれば、改めて「その矜持とは何か」(これはどんな職業にも言えますが)を問うべきだと感じました。(文@久田将義)