巨匠幻想だったのか 江口寿史氏のトレパクの何が問題なのか
近年、著名イラストレーター・漫画家である江口寿史氏の作品の一部に、他人の写真等を無断でトレースした疑い(通称「トレパク」)があるとして、SNS等を中心に議論が広がっている。本稿では、この問題の肖像権および著作権の観点から、主な法的論点を整理してみよう。江口氏の一部作品が、インターネット上の写真、雑誌のグラビア、ファッションスナップなどを元にしているとされる。著作権は、創作された表現(例:写真、イラスト、文章など)を創作者の権利として保護する制度である。日本の著作権法では、「創作性」が認められる表現であれば自動的に権利が発生する。
●トレースは複製・翻案に当たるか
写真をなぞって絵を描いた場合、その元の写真の構図や人物のポーズがそのまま反映されていれば、「複製」(第21条)または「翻案」(第27条)と見なされる可能性がある。複製権侵害とは写真をトレースした絵が、構図・ポーズ等をそのまま写したものであれば、原著作物の「複製」に該当する。また、翻案権侵害:写真を絵画に描き直す場合、著作物を「別の表現形式」に変えたとして、著作権者の「翻案権」を侵害することがある。
問題の核心は江口氏の描いた絵が、創作性のある元写真の特徴(構図・ポーズ・光の当たり方など)を忠実に模写していると判断されれば、著作権侵害が成立する可能性がある。肖像権の観点:被写体(モデル)の権利侵害の可能性はどうなのだろうか。
トレース元とされる写真の中には、モデルのポーズや顔立ちがはっきりとわかるものも含まれており、肖像権の侵害も懸念される。肖像権は、「自己の容貌などを無断で撮影・公表されない権利」。明文化された法律は存在しないが、判例(京都府学連事件など)により、プライバシー権の一部として保護されている。
トレースと肖像権はモデルの顔や体型、ポーズなどが特定可能であり、第三者が本人と認識できる程度に特徴を保持している場合、肖像権の侵害と認定される可能性がある。たとえ「絵」であっても、元の写真からの再現度が高ければ、肖像権の問題は生じうる。
SNSや雑誌に掲載された写真であっても、**「商業目的での利用」や「無断使用」**は、肖像権侵害に問われるリスクがある。
パブリシティ権の可能性(著名人がモデルの場合)はどうだろう。もしトレース元となった写真のモデルが著名人(芸能人、インフルエンサーなど)であり、その人物の容姿が絵に利用された場合、肖像権に加えてパブリシティ権の侵害も問題となりうる。パブリシティ権とは芸能人などの「顧客吸引力」ある容貌・名前などを、無断で商品・作品に使うことによる商業的利用を制限する権利。元々は米国判例が起源で、日本でも認められている(ピンク・レディー事件など)。
江口氏の作品が書籍の表紙、商品パッケージ、広告等に使用されていた場合、パブリシティ権侵害が問われる余地がある。日本の著作権法では「フェアユース」規定は明確に存在しないが、例外的に「引用」として著作権の制限が認められる場合がある。
江口氏のイラストが上記要件を満たす形でトレースを行っていたとは言いがたく、引用と認められる可能性は低い。江口寿史氏のトレース問題における最大の問題点は、創作活動の過程における「他者の権利への配慮の欠如」である。著作権・肖像権の観点から、以下が特に問題となる。現代のビジュアルアートでは「参考資料の使用」は日常的であり、全ての模写が違法とは限らない。問題は、「どこまでが創作か、どこからが他人の権利侵害か」の境界を意識せず、それを公的・商用に用いる点にある。(文@編集部)