【神戸児童連続殺傷事件】元少年Aの告白本『絶歌』出版の是非
「さあゲームの始まりです」
1997年5月27日、兵庫県神戸市須磨区の中学校の校門前に小学6年生の男児の首が置かれていた。その中には冒頭の分から始まる「犯行声明」の手紙があり、こう続いていた。
◇◇◇
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
◇◇◇
まるで警察を挑発する内容だった。メディアでは犯人像が様々な立場から語られていた。そして、6月28日に逮捕されたのが中学生(当時14歳)という少年だったことで、さらに世間を震撼させた。
少年Aはこの男児のほか、小学校4年の女児も殺害していた。また、ほかの小学生にもけがを負わせていた。そのため、「神戸連続児童殺傷事件」と呼ばれている。また、犯行声明文に書かれていた筆名が「酒鬼薔薇」とあったために、今でもこの事件を「酒鬼薔薇事件」とも呼ぶこともある。
事件から今年で18年。その元少年Aは32歳になった。そして10日、手記「絶歌」(太田出版)を出版した。オンライン書店のアマゾンや楽天ブックス、セブンネットではランキング1位となり、世間の関心を呼んでいる。一方で、事前に連絡がなかったこともあり、「これ以上遺族を傷つけるのか」として、遺族は出版中止と本の回収を望んだコメントを出している。出版の是非も話題となったのだ。
私個人としては、犯罪者の心理や犯行後のケアのあり方を知る上で貴重な本であると思っている。最近、秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚の手記「 解」(批評社)を読んでいたところだった。
私は、秋葉原事件の被告人質問をほぼ傍聴できた。その意味で裁判では明らかにならなかった点が書かれているかが気になっていた。加藤死刑囚の「解」には、彼が家族をどう見ていたのかが書かれていた。
加藤死刑囚の家族については、「週刊現代」で弟が手記を寄せていたことで、過干渉で、過度にしつけが厳しい家庭だったことがわかっていた。母親は「酒鬼薔薇のようにならないように」と育てていたともあった。
一方、「解」では、加藤死刑囚本人が一度は家族を許すものの、離婚話が浮上したことで再び、自分はいらない存在なんだと認識するくだりがある。加藤死刑囚の家族観や孤独感がわかるエピソードが記されている。
このように加害者がどのような思考パターンで犯行まで至ったのかを知るのは、事件の流れを把握する上では貴重なものだ。まして、犯罪予防の観点でも役立つことを期待したいと思っている。
1968年〜69年にかけて起きた連続ピストル射殺事件(死者4人)の永山則夫(死刑執行)も手記「無知の涙」(現在は河出書房新社)を獄中で出版した。時代状況もあったが、貧困で満足な教育を受けられていない中での罪の告白をしたのだ。酒鬼薔薇が逮捕されて2ヶ月も経たないうちに死刑が執行された。
なぜ「酒鬼薔薇」のような存在が、なぜ、あのような犯行が起きたのか。それがわかるヒントになるのであれば、私は出版は賛成だ。特に少年事件だったために、成人事件とくらべて、公表された事実は少ないと思われる。
もちろん、遺族が「また傷つけるのか」という手記を発表している以上、それに対する働きかけは、出版社や編集者の役割だろう。事前に通知するのかも悩んだのかもしれない。ただ、通知すれば、出版中止を願い出される可能性が十分にある。そこで賭けに出たのかもしれない。
まず、その働きかけの一つとして、社内でどのような話し合いがなされたのかを知りたいとは思う。どんな論点があったのかでも、出して欲しいものだ。
Written by 渋井哲也
突然の刊行。