「合コン」は死語 今の若者はなんと呼ぶ? 平成で一番モテていた企業の「合コン文化」とは|中川淳一郎
自分は24歳で彼女は34歳。私は積極的に「会ってください」とメールを書いていた。だが、あちらはあまりにも年が離れすぎていることでガキ扱いしていたのかもしれず、なかなか会ってくれなかった。
そんな中、Mさんの同期の客室乗務員・Kさんが我々二人を自宅に招待してくれるという。なんでそのような展開になったのかは覚えていないのだが、合コンがついに発展をもたらしてくれた!
Kさん宅で酒を飲み、4時間ほど経ったところでKさんは「じゃあ、今からアンタ達送っていってあげるわよ。車取ってくるからね」と言った。初めて2人きりになった我々だが、10歳年上の、しかも美しい人に自分は何を言っていいのかが分からず、こちらはドギマギしてるだけだった。
約20分後、Kさんが戻ってきた時にまず彼女が言ったのは「なんだ~、アンタ達、ヤッてなかったの? せっかく私が気を利かせて車を取りに行ってあげたのに」だった。この後も色々あり、結局美人に対して何をしていいのやら分からないダサい若い男である私は平成前期の合コンの作法がまったく分からなかったのだ。
Kさんの家は初台で、私の家は恵比寿、Mさんの家は八丁堀。Kさんは八丁堀まで最終的には行くつもりだったが、私は「恵比寿で降ろしてください」と言った。
あの時、一体どうするのが正解だったのかはまったく分からない。しかし、平成のあの頃は東京の各所で合コンが展開されていた。(文◎中川淳一郎 『俺の平成史』)
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