ミイラになるために自ら死を選んだ僧侶たち 彼らがこの秋、東京にやって来る……!! |Mr.tsubaking
ところが、全てが即身仏になるわけではありません。石棺を開けてみて、姿勢が崩れていたり合掌をしていなかったりした場合「死の直前に、生に執着した」ととらえられ、無情にも破壊されてしまうことも多いのです。
生身の僧侶では、原則生きている間しか人々に教えを伝えることができませんが、こうしてミイラとなることで、半永久的に身体がのこり、その姿で末代まで教えをつたえていくのです。
福島県の田園風景の中にある貫秀寺という小さなお寺にいる宥貞さん。
それほどの苦行をしたとは思えないほど、微笑んでいるようにもはにかんでいるようにも見える表情をしています。
このお堂と、即身仏を管理しているのは地域の保存会の皆様。かつて村の人々を愛した僧侶は、即身仏となった今、数百年後にその村に暮らす人々に愛されているのです。