川崎中1殺害事件の教訓「イジメ問題」で片付けてはいけない

 捜査が進むにつれて全容が明らかになってきた川崎の少年殺害事件だが、手前味噌ながら事件直後に掲載した記事の内容にほぼ間違いはなかったようだ。

参考記事:【川崎中1男子殺害】発見された刃物や拘束具はISIL報道の影響を示唆か

 ただ、私は上の記事中でこの事件を “イジメ問題” として捉えていたが、その点だけは撤回せねばならない。むしろ謝罪が必要かもしれない無責任な解釈だったと猛省している。この川崎の事件をイジメ問題として広めてしまうと、今現在イジメで苦しむ子供達をさらに追い詰める結果になり兼ねないのだ。

 事件の詳細をご存知のものという前提で話を続けさせていただくが、犠牲になった少年は決してイジメられっ子とは言えない立場である。むしろ色々な人間関係の悩みはあっただろうが、親身になってくれる仲間も多く、どちらかと言えばより酷い状況のイジメられっ子からすれば羨ましいとすら思える立場だったように思う。

 私自身もイジメられた経験があるのでこう思うのかもしれないが、イジメに苦しむ子供は学校にも家庭にも逃げ場がないし、仲間と呼べる頼れる存在もいない。 イジメっ子が飽きるまで、自分以外の誰かに目を向けてくれるまで、ひたすら自分ひとりで耐え続けなければならないのだ。

 だが犠牲になった少年はそうではなかった。 自分に危害を加えた相手の家まで押し掛けて戦ってくれる仲間がいたし、それだけでも絶望のどん底にあるイジメられっ子とは状況が全く違う。

 あの事件のトリガーになったのは、容疑者少年らと犠牲者の少年の存在に気付いたにもかかわらず、マトモに相手にしなかった神奈川県警の大失態である。あそこで神奈川県警が少しでも異常さに気付いていれば、そうでなくともせめて数日間は人手を回して観察するといった対応をしていれば、あんな最悪の暴走には至らなかった(至れなかった)だろう。少年の周囲には、守れるはずだったのに守れなかったと悔いている方が大勢おられるはずだ。

 この事件は動機の部分を神奈川県警の大失態が作り、犯行の手口を連日の無責任なISIL報道によるメディアスクラムが生み出した。 警察とTVメディアの責任が何より重いと誰にでも理解できるはずなのだが、当の “真犯人達” は責任転嫁に大忙しだ。後に容疑者の少年がやっていたというゲーム(あまりに見当違いなので名前は伏せる)を取り上げて、無理やりに「ゲームの影響が!」と騒いだバカなメディアもあったが、あの萌え系ゲーム・アニメのどこにISILの首切り殺人が出て来るのかと問い質したい。 

 さて、どうして川崎の事件をイジメ問題として語る事に問題があるのか。それは最初に申し上げたように、犠牲となった少年がイジメられっ子とカテゴライズするにはあまりにも恵まれていた為である。彼をイジメられっ子としてしまうと、より酷い状況でイジメに耐えている子供達は 「彼ほど恵まれてても最後は残酷に殺されるのか」と絶望してしまう。少なくとも、イジメのターゲーットにされていた時代の私がこの事件を伝え聞いたら間違いなくそう受け取るだろう。

 個人的な思い出話で申し訳ないが、私はイジメの渦中に無い知恵を絞って必死に今のポジションを変える方法を考えた。その結果、殴られたり蹴られたりする度に、イジメっ子の隙を見てお返しとしてディープキスをするとか、便所に行った時に後をつけて行ってチ○コをしゃぶるとか、暴力ではない別の方法で反撃して行った。最初は余計に殴られたりもしたが、結果的にこの方法は大成功で、だいぶ早いタイミングでイジメっ子から「もう殴らないからしゃぶらないでくれ」と言質を取り、「アイツをイジメるとエッチな事されるから止めようぜ」となったのである。

 これを読んだ方の大多数はバカ話として受け取るだろうが、当時の私は自分の身を守るのに必死だった。イジメのターゲットにならずに済むのなら、憎いイジメっ子とキスするのもナニにしゃぶり付くのも何の苦にもならなかった。イジメられっ子とはそれほどの極限状態に追い込まれると知って欲しい。

 話がすっ飛んで申し訳ないが、そんな時代の私が川崎の事件の顛末を “イジメ問題” として知ったとしたら、イジメっ子のチ○コにしゃぶりついてまで身を守ろうと考えられただろうか。おそらく「そこまでしたって最後は首切られて殺されるんだ……」と考えたに違いない。 自分よりよっぽど恵まれた立場の同世代の子がイジメられっ子として惨殺されるのだから、ハッピーエンドルートには入れないと諦めてしまって当然である。だからこそ、この事件を迂闊に、そして無責任に、イジメ問題として語ってはならないのだ。

 殺された少年はイジメられっ子ではなかった。普通に友達がいて、普通に悩みを抱えている、普通に生きていた少年が、警察の失態とメディアの無責任な報道の犠牲となり、無残に殺されたのである。

Written by 荒井禎雄

Photo by Evan Schoffstall

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€„いじめられっ子は極限にいる。