平成は携帯・スマホの時代に 「会えない恐怖」を知っている民がこの世界からいなくなった|中川淳一郎・連載『俺の平成史』
これが何を変えたかといえば、「“約束”の重みが下がった」ということだ。携帯電話がある前の飲み会の約束は、「とにかくその場に来い」だった。学生の飲み会の場合であれば、駅前で待ち合わせをし、そこから行く店を決めるスタイルが多かった。
何しろ「予約」の概念さえ考えないことだらけだったのだ。「飲み屋なんてどっか空いてるだろ?」的な感覚だったのだ。だからAが満席だった場合(そんなことはないことがほとんど)、Bに行き、そこで「5人ですけど~」のように言えば、店に入ることができた。
こうして2軒の飲み屋を回ることはあったものの、基本的には「駅前に18時集合」ということが平成初期~平成7年(1995年)あたりまでの飲み会の約束風景だったのだ。だからこそ、駅には「掲示板」があり、「山田! お前、遅すぎ!『つぼ八』に取りあえず行く。ここにいなかったら店員に聞いてくれ。さらにいない場合は諦めろ」といったことが書かれた。
約束の時刻から掲示板に書くまでの時間は10分ほどだったと思う。当時、約束に10分以上遅れることは大問題行為だった。10人が18時待ち合わせの場合、2人は17時54分には着いており、そこから17時59分までに7人が集まり18時1分に1人が来て、18時5分に9人目が来る。そして来ないのが10人目の男「山田」であり、10分を過ぎたところで掲示板に山田宛てのメッセージを書き、「来られないんだったらお前が悪いだけ」というやり取りをしていたのだ。
こうした飲み会の約束をし続けただけに、平成中期以降の「渋谷に着いたら電話するね~」「近くに来たらLINE送るね~」という「約束様」をないがしろにするやり取りには抵抗がある。
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