チリ人妻・アニータに会いに行った【前編】 出稼ぎ外国人女性が「じゃぱゆきさん」と呼ばれていた頃

アニータの自宅前にて(筆者撮影)

稀代の悪女と呼ばれるチリ人のアニータに会ったのは、もう今から9年前のことだ。12億円ともいわれる巨額の金を貢がせた女性に直接会ってみたいと思ったのだった。
アニータは、1980年代に本格的に始まる日本への出稼ぎ外国人女性、じゃぱゆきさんの歴史の中で、おそらく稼ぎ頭であろう。

チリの首都サンティアゴの中心部から30分ほど車で走った住宅街の中に、彼女が暮らす家があった。現地に入って知ったことだが、彼女は「ゲーシャ」と呼ばれ、テレビにも出演するなど、チリでは有名な存在だった。

「いらっしゃーいませ」

家の中へと通されると、ソファーが置かれた広々とした応接間でアニータはまるでナイトクラブに客を迎えるかのように言った。応接間の壁には趣味が良いとは言えない後ろ向きの裸の男の巨大な絵が掛けてあった。

ちなみに今アニータが暮らしている家は、彼女が日本人の夫と出会った翌日にプレゼントされた1000万円で買ったものだ。

まずアニータにチリでどんな生活をしているのか尋ねた。

「今はクラブでDJ、テレビ出たりして生活しています。手に入るお金は一カ月80万円ぐらい。今の生活はオッケー、こどもたちと一緒、みんなで笑って、食べるものもある。今のままがいい」

月80万円の月収があり、チリで暮らしていくのは十分なのだという。アニータには7人の子供がいるのだが、今は5人の子供、それと路上で生活していたウルグアイ人の女性と娘を家に住まわせていた。

「彼女たち、家もなくて可哀そうだから、家に来たらって言ったの」

ウルグアイ人の女性と子はアニータの家で、家政婦をしているわけでもなく、家人のように普通に振舞っていて、冷蔵庫を勝手に開け、好きなもの飲んだり食べたりしている。日本では信じられない光景だった。

貧しさから抜け出したかった

アニータが日本に行くきっかけになったのは、サンティアゴで出会った日本人ブローカーに誘われたことである。300万円の借金を背負わされて、日本へと向かった。
娘の病気、経済的な貧しさから抜け出したい一心からだった。成田空港に降り立ち、最初に連れて行かれたのは、名古屋のストリップ劇場。そこでの仕事はダンスもそこそこにステージの上で客とセックスをすることだった。

「日本の劇場は全部行ったよ、横浜、埼玉、佐賀県、一番良かったのは佐賀県、お客さんが優しくて、チップもいっぱいくれたし、プレゼントもたくさんくれた」

ストリップ劇場の次にスナックで働いた。やはりそこでの仕事も客に請われれば、ホテルに行き体を売ることだった。ただストリップ劇場に比べれば、仕事は勿論楽だった。このスナックでの仕事で、大金を貢がせた日本人の夫に出会った。

こんな仮定をしても仕方のないことだが、もしアニータがこの時に日本人の夫に出会っていなかったら、人生はまた違ったものになっていただろう。日本での生活において、彼女は、大金を得ることができたが、得られなかったこともあったと打ち明けてくれた。(続く / 写真・文◎八木澤高明)

後編へ続く:チリ人妻・アニータに会いに行った【後編】 悪女に描かれる彼女が”心から愛した日本人”との生活