消えた都市伝説「あげまん慶子」を探して コロナ禍と共にいなくなる謎の女性たち

それから僕は、ミリオン出版(現・大洋図書)に移籍しました。そこで初めて編集長になりました。『ダークサイドJAPAN』という誌名の雑誌でした。立ち上げなので、かなり攻めた内容だったのですが(おかげがで二件の訴訟を抱えました)校了近くなって3ページばかり余っている事に気づきました。「何か面白い事ないかな」と会社で考えているうちに、ふと数年前にすれ違った「あげまん慶子」という名前を思い出しました。

手製のビラ。

時計を見ると午後3時ころ。「新潟まで車で4時間とすると、夜7時には着くな」。思い立ったらすぐ行動に移る癖のある僕はカメラ、ICデータ、ノートなど最低限の取材道具をカバンに詰め、車で関越道に乗り、一路新潟を目指しました。「あげまん慶子さん。まだいるかな」。考えてみれば、会えないかも知れないのに結構無謀な取材です。

新潟に着いたら既に夜になっていました。あんなに有名だったあげまん慶子さん。
しかし、トイレにも公衆電話にもビラがありません。公衆電話にマジックで書いてあった携帯のナンバーも薄れています。この町での彼女の存在のように。

古町の繁華街に立っていたキャッチに聞きますが、「見ないな」と言います。色々、聞き込んでいるうちに「隣の駅で見た」という話が入ってきました。そこでタクシーで隣の駅に行ってみると、辺りは真っ暗でとても「慶子さん」が上げる相手がいそうもありません。
仕方なく古町に戻り途方に暮れていると、バーがありました。「今回の取材は失敗だ。明日速攻で帰ってネタを探そう」と考えてバーのドアを開けます。ダメ元でマスターに「この辺りで、『あげまん慶子』っていう人、知りませんよね」と聞いてみます。

すると! 奇跡が起きました。

マスターが
「ああ、慶子ならよく来ていましたよ」と言うではありませんか。作ったような話ですが実話です。
けれど最近は見ないそうです。あまりに派手なので警察がうるさくなったとの事。考えてみれば、風営法に抵触しているんですよね。ただマスターが大変親切で、慶子さんの写真を貸してくれたのと電話番号を教えてくれました。丁寧に御礼を言って店を後にします。携帯にかけると留守電でした。そこでこちらの社名、名前を言って返信を待つ事にしました。

元から泊まる予定ではなかったので、サウナで慶子さんの電話を待つ事に。うとうとしていると携帯が鳴りました。寝ぼけまなこで電話を取ります。数年前と同じハスキーな声で「慶子ですけど」とぶっきらぼうに言います。
そこでこちらが取材した旨を話すと「ダメだ」という返事。「東京から色々取材が来ていて忙しい」とも言っていましたが恐らく、V&Rに出演していたか、『裏モノAPAN』(鉄人社)で体験取材した事を言っているのでしょう。取材時期が重なっていたと思われます。

「そうですかぁ」とガッカリしながら「取材NGなのは分かりましたけど何か理由でもあるんですか?」と聞いてみます。すると、「ご主人様が出来てその人の許可がいる」というような事を言います。記憶が定かではないのですが、そのご主人様には「神の力」みたいのがあってそれに従っていると言っていた気がします。とにかくご主人様が重要人物だという事は分かりました。
が、なぜご主人様が凄いのかを一時間近くにわたって話すのでほとんど、インタビューは成功の様相を呈していました。
そういった記事を『ダークサイドJAPAN』にペンネームにして埋め草的に掲載しました。すると、心の師匠であるルポライター朝倉喬司さんが「これ書いた奴、面白いな」と仰って下さったので大変嬉しかったのを覚えています。