消えた都市伝説「あげまん慶子」を探して コロナ禍と共にいなくなる謎の女性たち

そしてそれから20年。実は『実話ナックルズ』(大洋図書)になってから(その頃、僕はこの雑誌の編集長になっていた)新入社員に「運を上げてもらってきて」と、新潟まで取材に行ってもらっていたのです。で、どうやら柏崎方面に拠点を移した、というのが最後の情報でした。
柏崎には実は別の取材(目白の田中角栄邸から柏崎の実家まで3回曲がれば着くか実証)で行っていたので、やはり古町に行く事にしました。

「東京・目白の田中角栄邸から新潟の生家まで3回曲がったら着く説」を実験してみた

まるっきり変わっていました。あれほど賑やかだったアーケード街は夜7時というのにほとんど人がいません。「緊急事態宣言、出ていないよな」とタクシーの運転手に尋ねます。
「コロナ禍になってからこんな感じですよ」と言います。あれ、そうだっけ。情報の宝庫、キャバクラに行こうと思ってもそれらしき看板が見当たりません。
「この辺りで一番賑やかな通りってどこですか」と聞くと「すぐそこを右に曲がったあたりです」との事。その通り、右に曲がってみるとほぼ人通りがありません。

一番賑やかと案内された通り。

どうなっているんだ古町。「慶子さん」どころか人がいない。案内所があったのでキャバクラを探していると奥から人が出てきました。
「すみません。ずいぶん昔の話なんですけど『あげまん慶子』て女性知りませんか。一時凄い有名だったんですけど」。すげなく首を振られました。実はその前にらタクシー運転手にも何回も「あげまん慶子さんて知りません?」と聞いてはいたのですが、皆一様に首を振るばかりでした。
で、「賑やかさだったら駅前の方が良いですよ」というタクシーの運転手に言われたので新潟駅前に行きました。そう、ここの公衆トイレにもビラが貼ってあったのです。駅舎は面影がありましたがトイレは、キレイになっていました。

ですよね……。
「慶子さん」の面影、足跡など。何にもありませんでした(交番の警察官にすら聞きました)。
また、前回「慶子さん」の行きつけの店もなくなっていました。名前は特徴的なのでもちろん覚えていて、検索をかけまくったのですが引っかかりませんでした。コロナ禍だし飲食は厳しいのかなとも思います。あの親切なマスターもどこかで商売をしているのでしょうか。

諦めて東京に帰る事にしました。車で来ていたので夜になると関越の越後湯沢あたりの道路が凍る可能性もあります。慶子さんで思い出すのが、「横浜メリー」さんです。1980年代後半あたりからそう呼ばれた白塗りのご年配の婦人が横浜の繁華街で立っていました。それが横浜メリーさんです。『GON!』(ミリオン出版・大洋図書)でも取材を試みていたと思います。戦後の立ちんぼ(パンパンと呼称されていた)の名残りとされています。ドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」では生い立ちを追っていました。

同じように京都の高瀬川では80歳の立ちんぼの女性の話を聞きました。生まれた九州から紆余曲折を経て、この土地に立っているのだと聞きました。

慶子さんもそこまでの御年ではないにしろ、なぜ自らを「あげまん」と称したたのか。なぜ占いに凝るのか。なぜ神の力を信じるのか。実は前回の取材である程度、把握していたのです。が、これはプライバシーにかかわる上、不幸な身の上話でしたので僕の心にしまっておくつもりです。

バーのマスターが言っていました。

「皆、あいつの事おかしいとか色々言うけどいい奴ですよ」

多分、それが本当なんだろうと思います。

人に貴賎なし。

コロナ禍で様相が一変した新潟の古町。賑やかな場所には暗所というものがあります。ハレとケ。きらびやかな繁華街のダークサイドに生きる人達もいます。そこにも人の息吹があります。コロナはそういった息吹さえもなくしてしまった気がします。(文・写真@久田将義)