小山田圭吾、のぶみ両氏が辞任 東京五輪よりヤバいオリンピックを探してみた! 長野五輪開会式の退屈さは今も語り草

金メダルでも獲れば世論が変わるか(撮影・編集部)

やることなすことすべてが批判と撤回だらけの東京オリンピック。開幕直前に楽曲担当の小山田圭吾が過去の「いじめ」がぶりかえされネットで大炎上。各種メディアも追随し、辞任した。そして開会式直前の今、注目されているのは「開幕式はいかにショボいか」と言う点だ。もしかしたら感動的なものになるかもしれないが、「逆の意味で開幕式に注目している」といった趣旨の書き込みもネットでは見られる。

さて、これまでの五輪において他国開催時は特に開会式の演出や人事等に日本人は当然文句を言わなかったが自国開催となった1998年(平成9年)長野五輪の時はどうだったか。YouTubeで「長野五輪 開会式」と入れると予測変換で「ひどい」と出る。確かにあの頃酷評されていたので振り返ってみる。

劇団四季の浅利慶太氏が総合演出を手掛けた。善光寺の鐘が鳴り響いた後、諏訪市の「御柱祭」(崖の上から巨大柱に人々が乗って落ちてくるあの祭のことね)の人々が登場し「よいしょ! よいしょ!」と絶叫するところから始まる。
その後は中央の巨大土俵に幕内力士が登場し、横綱・曙の土俵入りと続く。続いて地元の伝統的な祭りが行われ、「雪ん子」のような子供達が大量に登場し。森山良子と一緒に「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」を歌う。子供達は踊り、走り回り楽しそうだ。

選手団入場の際は、各国の旗手の前に手を繋いだ力士と子供達が先導する。そして各種宣言の後、聖火リレーの点灯者に繋ぐのは1997年世界陸上女子マラソン金メダリストの鈴木博美。恰好は巫女に使える童のようである。聖火点灯者はアルベールビル女子フィギュア五輪銀メダリストの伊藤みどり。彼女は巫女のような恰好で下の方からリフトで上がってきて鈴木から聖火を受け取り、再びリフトを上がり聖火をつけ、降りていく。イメージとしては紅白歌合戦における小林幸子の巨大衣装が吊るされているようなものだ。

最後は小澤征爾が指揮をし、世界五大陸を衛星中継で繋いだ「第九」が歌われ無事大団円、となった。当時、この演出は相当酷評されたが、確かに私も当時生で見ていて退屈したことを覚えている。