「お笑い」が「美談」に昇華する現代 林家三平『笑点』卒業はその対極にあるのでは│プチ鹿島
人気番組「笑点」で林家三平さんの卒業が発表されて以降、ザワザワしています。私はもはや「笑点」そのものより「笑点報道」に心を奪われているといっていい。ひと言でいうとオヤジジャーナルの切り口である。
たとえば日刊ゲンダイは『日テレが「笑点」についにメス! 林家三平の大喜利「卒業=戦力外」しかも秒読みだった』(12月20日)という記事で、
《実際、三平はこの6年足らずの間に、1度も座布団10枚をとったことがない。落語家としての力量不足は明らかだった。》
めちゃくちゃ真面目に「笑点」を見ているではないか。まるで政治家の選挙敗北記事のようだ。一方、ゲンダイのライバル夕刊フジは、
『”歴戦の猛者”と力量が違い過ぎた… 「笑点」降板は必然だった林家三平』(12月26日付)
こちらも笑点をカタく分析している。「笑点」といえば日曜夕方のふわっとした時間帯になんとなく癒されるファンタジー空間が売りだと私は思っていたのですが、オヤジジャーナルはいきなりガチの空間に引きずり出しているのだ。
そう思っていたら週刊文春が三平さんの母親の海老名香葉子さんに直撃していた。『「笑点」林家三平 ゴッドマザーが「卒業じゃない」』(1月13日号)。
ここで香葉子さんは卒業ではなく「ちょっとの間、修行に出させていただくということでございます」と答えている。強い!しかし文春はさらに聞いていた。「座布団十枚を達成できなかったことは?」。そのまんまのことを聞いている。
すると香葉子さんは「『笑点』はウチで立ち上げたようなもの。(略)あまり関係ないと思います」。
強いなぁ。座布団で殴り返している感じだ。私はこのやりとりに林家ファミリーへの幻想をさらに抱いたのである。
さて、これらの記事を見ていてふと気づいたのがお笑いを真面目に見ることの塩梅である。