私が見た漢民族のウイグル族差別 「逃げる者は射殺」の衝撃【前編】

 

かつてはウイグル族で栄えていた繁華街。

5月24日、各メディアで中国のえげつなさを示す記事が発表された。〝少数〟民族、ウイグル族(人口約1000万人)に対する民族弾圧。その証拠の決定版ともいえる内部資料、「新疆公安ファイル」が流出し、その内容が明るみになったのだ。

「逃げる者は射殺」 中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出
(2022/5/24)
https://mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/019000c

「(当局に)挑む者がいればまず射殺せよ」と指示する幹部の発言記録や2万人以上の収容者リストがそこには含まれていた。

顔写真付きのプロフィールのなかには、まだあどけない雰囲気を残す14歳の少女がいたり、目に一杯の涙を浮かべた50歳ぐらいの女性がいたり。「罪状」を読むと、モスクでイスラム教を学んだことを理由にテロ行為準備罪とみなされ、懲役15年の判決を受けたケースすらあった。このように何の攻撃性もないごく普通の真面目な人々が多数、収容されている。

施設の中は過酷だったようだ。収容されたウイグル族の人たちに謎の注射をむりやり打つ様子や、身動きを封じる「虎の椅子」の写真など、拷問の一端をしめす数々の写真が出てきた。

治安維持という名目で、ウイグル族の人々を片っ端から収容し、ウイグル社会を根こそぎ破壊しようとする中国政府の狙いが見て取れる。100万人が収容されたという話しはこれでより、信憑性が高まったといえる。

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「新疆公安ファイル」が出たのを機会に、僕がこれまでに見聞したことを、再び紹介してみたい。前編は、日本に20年ほど住んでいるという在日ウイグル族の証言である。話しを伺ったのは2018年、当時、彼の年齢は当時50歳前後だった。

――なぜ日本に住んでいるんですか?

「90年代後半、街におびただしい数の漢民族が移住してきて、オフィスワークなど、主要な仕事が彼らに奪われるようになってしまいました。妻が出産したことで、もっと将来性のあるところで暮らしたいと思うようになってきた。ちょうど兄が日本に住んでいたので、チャンスを求めて2001年に日本にやってきました」

――妻子は?

「日本に来て落ち着いたタイミングで、故郷に戻りました。妻と子どもを日本に呼び寄せるためです。すると、街は急変していました。街が漢民族だらけになっていたんです。1957年に、(新疆ウイグル自治区への)漢民族の入植が始まりました。そのころウイグル族の人口は350万人で漢民族は20万人でした。現在ではとっくに各地で漢民族の人口が逆転しています」

――再教育施設について、話題になっていますね。共産党政府のウイグル族弾圧が話題になっていますが。