傑作『爆弾犯の娘』(ブックマン社)著者・梶原阿貴さんインタビュー
「私がこの本で伝えたいこと」

05年、刑務所は大きな転機を迎える。100年ぶりに監獄法が改正され、翌06年5月から受刑者処遇法(現在の略称は、刑事収容施設法)が施行された。それまで刑が確定した既決囚は、面会や手紙のやり取りなど外部との交通権は原則として親族と弁護士に限られていた。それが友人にまで広げられることになったのだ。梶原さんも未決の時以来、鎌田さんと会えるようになったし、私も取材で面会することができた。

ところが、改正監獄法の附則にある「5年後の制度見直し」のタイミングで、再び門戸が狭められた。刑務所側の裁量によって、実際の運用面でいったん認められた面会が再びできなくなる人が続出したのである。

梶原さんも、やはり鎌田さんと会えなくなった。その時の経緯を問うと「よくぞ聞いてくれた。実は本から割愛したエピソードがあるんです」と目を輝かせ、こんな話を披歴してくれた。

 鎌田さんと面会するために、いつものように待合室で順番待ちしていたんです。すると2人の刑務官がやって来て、「ちょっと』と廊下に出るよう促されました。「何で行かなきゃいけないの?』って聞いたら、廊下でいきなり壁ドンされました。私の態度が「反抗的だったから」というのです。 

――刑務官がそんな対応したんですか。梶原さんは受刑者ではないのに。

もう、びっくりして。これがキラキラ映画のイケメン刑務官だったらそこで恋が芽生える場面かもしれないけど、おじさん2人に壁ドンされて「きょうは面会できない」と一方的に通告されたんです。

あまりにも高圧的だったので、私もつい頭に来て「何でだよ? こっちは東京から新幹線で来ているのに往復でいくらかかると思っているの? お宅ら払えんのかよ」と荒っぽい口調で畳みかけました。「所長を呼んでこい!」「面会できないって法務省のホームページのどこに書いてあるの?」などと揉めていたら、大きな犬の絵が入ったジャージを着た若い衆を先頭に、待合室にいた人たちが「どうした、どうした」とドヤドヤ集まってきました。

私は「この人たち(刑務官)に呼ばれていきなり壁ドンされたんです」と伝えたら、「こんな下っ端なんか相手にしてないであっちに行きましょう。ウチの親分もいますから」と喫煙所に案内されました。「姐さん、どこから来たんですか」って聞かれたから、「渋谷区」と答えたら、「あっ、渋谷の〇〇親分さんにはいつもお世話になっています」って、いつの間にか勝手に勘違いされていた()

「姐さんに間違われました」

――当日、面会を断るなんてひどい話ですね。

その日、面会が認められなかった人が何人もいました。喫煙所に行くと、ヤクザがいっぱいいてみんな怒っていた。だるまストーブを囲みながら「俺たちもきょう面会できなくて……。これはおかしい」「腹が立つからどうしてやろうか」などと、口々に不満を言い合っていました。このまま黙って引き下がるわけにはいかないから「所長室にカチコミに行こう』ということになりました。「私は姐さんじゃありません」と言うタイミングを逸したまま所長室までついて行くと、ヤクザたちが「おらっ、出て来い」などと怒鳴りながら、鉄製の扉をガンガン蹴り始めた。一通りやり終えると、「さあ、姐さんもどうぞ」と言って、モーゼの十戒のごとく所長室の扉までの通路が開かれました。みなさんに見守られる中、私も扉の前まで行きましたが、結局、刑務所側は私たちの抗議に答えようとしませんでした。

黒ヘルグループが特異だったのは、演劇に関わるメンバーが多かったことだ。梶原譲二さんは演劇人による反戦運動「新演劇人反戦グループ」の一員であり、演出家の蜷川幸雄や俳優の石橋蓮司が旗揚げした劇団「現代人劇場」にも属していた。71年のクリスマスツリー爆弾事件の直前に、緑魔子主演の『鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる』(原作・清水邦夫)で準主役に抜擢された。そればかりか、警視庁推薦のテレビドラマ『特別機動捜査隊』にも出演していたから、逮捕時に警察は激怒していたらしい。

 

●石橋蓮司も宮城刑務所へ面会に

――石橋蓮司さんも拘置所や刑務所を訪れ、譲二さんや鎌田さんと面会したこともあったそうですね。

拘置所や刑務所に一緒に行きました。待合室に入ると、一見してヤクザとわかる人たちが、いっせいに立ち上がって「ご苦労さまです!」って言ったの。みんな単純だな、映画とリアルの区別もつかないのかと思ったんですが、蓮司さんも親分役のイメージそのままに「おう」って返していました()。父は劇団で蓮司さんの直属の後輩でしたが、鎌田さんとも新宿の喫茶店「ローレル」などで会ったことがあるそうです。

父が逮捕される前に出演した舞台『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』は、爆弾を投げて裁判にかけられた青年2人を、おばあさんたちが武器を持って救出しようとするストーリーです。1999年に出版された『連合赤軍・〝狼〟たちの時代』(毎日新聞社)のインタビューで、蓮司さんは当時、劇団に関わる人たちの状況がラディカルな方向へ行ってしまいがちだったとしてこう話しているのが象徴的でした。

「もう芝居をやるより、実際にやるしかない」という感じになり、周りにそういう仲間が増えてくると、演劇とある意味での闘争という表現の分かれ目がわからなくなってくる人間も、中にはいるわけです。