傑作『爆弾犯の娘』(ブックマン社)著者・梶原阿貴さんインタビュー
「私がこの本で伝えたいこと」
――著書の中で、父親の譲二さんが裁判の冒頭陳述で「めまぐるしい激動の日々、冷静に自らを問うことなく疾走し、時代の傍観者となることなく、安全地帯からではない行動を考えていた」と語ったのが印象に残りました。
冒頭陳述の時は、法廷が劇場みたいな感じになっていました。母は泣いていましたが、私は父のことを「真面目な人」だなと同情したのを覚えています。後年になって、現実社会と物語について考えるようになりました。芝居は異世界に連れて行ってくれるのと同時に、現実をも飛び越えてしまうことがある。芝居をつくる側は、その危うさを常に認識していなければならないと感じています。
クリスマスツリー爆弾事件以降、警察の取り締まりがいっそう強化される。また、連合赤軍事件もあって左翼運動は急速に衰退していった。だが、74年8月、ノンセクトのグループ「東アジア反日武装戦線〝狼〟」の手によって三菱重工爆破事件が発生する。東京・丸の内の三菱重工本社前に仕掛けた時限爆弾で通行人8人が死亡、385人が重軽傷を負う大惨事となった。
〝狼〟に共鳴し、〝大地の牙〟〝さそり〟を名乗るグループも登場。戦後の日本企業によるアジアへの経済侵略や、中国人など外国人を強制労働に従事させた過去の〝罪〟にも目を向け、ゼネコンや大手商社などを標的に爆弾闘争を再び激化させていった。
映画『桐島です』の主人公、桐島聡さんは黒川芳正さん、宇賀神寿一さんとともに「さそり」を名乗って反日武装戦線に参加。連続企業爆破事件で指名手配され、逃亡する。偽名を使って49年間にわたって潜伏していたが、24年1月、末期がんで入院中に本名を告白して亡くなる。
●「桐島聡」について
桐島さんには、ものすごくシンパシーを感じていました。桐島さんの指名手配写真の隣に父の写真が貼ってあったからです。長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」(1979)の中で、菅原文太が沢田研二を追走する場面がありますが、歌舞伎町の交番が大写しになって、そこに桐島聡と梶原譲二が並んで映っていました。2人ともグループでは末端の若いメンバーで、あまりに純粋だったために爆弾事件を起こすことになったのではないかと考えました。報道があって資料を収集していたところに、高橋伴明監督から脚本を書くように言われたのです。
桐島さんが名乗り出た時、メディアは桐島さんが関わっていない三菱重工爆破事件の映像をくり返し流して世論をミスリードしました。彼が関与したとされる事件では、死者は出ていません。爆弾犯というと極悪人のように思われてしまいますが、桐島さんは50年近い逃亡生活の中で周囲の人たちと優しく接して、仕事や通っていたバーの仲間たちからも慕われていました。
いま外国人に対するヘイトスピーチがひどい状態ですが、桐島さんならばどう反応しただろうかと考えて、映画にクルド人と在日コリアンの役を登場させています。作品を観たお客さんからは、「アジアの人々に心を寄せた真面目な人が事件を起こしたことを初めて知りました」という声も頂きました。
ただ、私がどうしても理解できないのは、桐島さんたち「さそり」が三菱重工爆破事件以降に活動を開始したことです。あの凄惨な光景を目にして彼ら自身、激しく動揺しています。にもかかわらず、その後も過激な行動へと突き進んでしまった。その疑問について誰も納得のいく答えを出していないし、私たち自身、これからも問い続けていく必要があると思っています。
梶原さんの著書や映画『桐島です』に触れ、思い起こした言葉がある。
東アジア反日武装戦線の一斉逮捕から15年目の90年、東京・渋谷で「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議」主催の集会が開かれたので、私は会場に出掛けた。
支援者や弁護士、文化人が登壇してメッセージを読み上げたが、その中で〝狼〟をモデルにした小説『パルチザン伝説』で知られる作家、桐山襲(かさね)の「過去を豊富化する」という発言が強く印象に残った。過去を単なる栄養にしてはダメで、今あるわれわれの歩いていく道が照らし出されるように過去を豊富化する作業がなされなければならない、と説いたのだ。
〈アジア人民の歴史的な憎悪と怨念は私たち日帝本国人に……〉と、〝狼〟のスローガンを読み上げたうえで、「ここで彼らが言った言葉を、もっと豊かな、もっと違う、もっとわれわれが本当にそうなのだと思えるような言葉に、10年20年たったあとで豊富化していく作業こそが必要なのではないか」と提起したのだ。桐山襲は主に天皇制の問題やアジアとの関わりについて語ったのだが、この話はもっと広義に私たちの日常の生活に根差した形で受け止めることができると思う(集会の内容は、軌跡社刊『反日思想を考える』にまとめられている)。
桐島さんが亡くなった後、同じ〝さそり〟のメンバーだった宇賀神さんは機関紙『救援』に追悼文「優しさを組織せよ」を書いた。その一文を読んだ梶原さんは「これだ!」と思ったそうだ。その追悼文に触発されたと思われるメッセージが『爆弾犯の娘』の〈あとがき〉に記されているので、引用したい。そこには先の桐山襲の問いに対する、現代的な回答の糸口があるように思えるからだ。

この本で伝えたいのは「どんな環境に生まれても、努力次第で人生は切り拓ける」ということでは断じてありません。
いくら努力しても報われないことはたくさんあるし、生まれてくる環境は選べません。どうにもならない時はあまり無理をしないで、必要な時は誰かに「助けて」と言いましょう。
うまくいかないことを全部「自分のせい」だと思わずに、適度に親のせいにしたり、他人のせいにしたり、社会のせいにして生きていきましょう。そして自分に余裕ができた時には、その社会全体をみんなで変えていきましょう。やさしさを組織していきましょう。
このメッセージは、親の貧困に喘ぐ子どもや、いまならば「宗教2世」のような人々にとって救いになるだろう。「努力すれば報われる」というのは危険な考え方で、必ずしもそうはいかないから「自己責任」という言葉では片づけられないし、セーフティーネットが必要なのだ。

梶原さんがこう付け加える。
「流行語大賞にもなった高市総理の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」は本当に怖い言葉だと思います。働きたくても働けない人もたくさんいるし、そもそも働き過ぎで亡くなった方もたくさんいるのに、何を考えているのかと。人間を「生産性」で測るような言葉を発したことだけでも大問題なのに、よりによってそれを「流行語大賞」にしてしまう今の流れに、とことん抗っていきたいです。私の今年の流行語大賞は「上等上等上等博覧会」です!」
いま社会を見渡すとぶっ壊したいものはたくさんあるが、多くの人がそう感じているように、どれも爆弾では物理的に壊せないものばかりだ。梶原さんはこれからも映画を武器に、さまざまな社会矛盾と格闘し続けていくにちがいない。今後の作品にも要注目である。(インタビュー・文@亀井洋志)
※東京・早稲田松竹で12月14日、16日、18日に『夜明けまでバス停で』『桐島です』2本立て上映される。18日最終回の『桐島です』上映後に、梶原さんが舞台挨拶をする。
●プロフィール
かじわら・あき 1973年、東京生まれ。90年、映画『櫻の園』(中原俊監督)で俳優としてデビュー。主な出演作に、大林晴彦監督『青春デンデケデケデケ』、七里圭監督『のんきな姉さん』、タナダユキ監督『ふがいない僕は空を見た』など。07年、『名探偵コナン』で脚本家デビュー。22年、高橋伴明監督『夜明けまでバス停で』でキネマ旬報日本映画脚本賞を受賞。25年、再び高橋監督とのコンビで脚本を担当した『桐島です』が公開。著書に『爆弾犯の娘』(ブックマン社)















