みんな小泉今日子を分かってない

キョンキョンは、恋する相手を手に入れるために禁じ手のカードを使うという考えをするような、そんなチンケな女ではないと思うのだ。

きっとキョンキョンは、3年間別居をしながらも離婚に判を押さない豊原の妻の態度に夫への強い気持ちを感じたのだろうし、そんな人を相手にしながら自分は強い事務所の力でその存在を世間的に無いものにしていることに対して「フェアじゃない」「カッコ悪い」。そう思ったらから”けじめ”として不倫を公言したのだろう。

そう、キョンキョンなりに”筋”を通したのだ。

筋を通すという言葉は、物事の道理にしたがって行動するという意味で、一般的には「他者からどのように評価されようが、自分の信念を貫き通すこと」と言われている。

しがらみの多い芸能界で”筋”を通せるスターなんて、一握りしかいないのではないだろうか。
キョンキョンは今回、それをサラリとやってのけたのである。
ここで、キョンキョンの今までの人生について軽く振り返ってみよう。

キョンキョンは神奈川県厚木市生まれ。1982年にアイドル歌手としてデビューするが、デビュー前は相当なヤンキーだったとの噂が根強く、地元にはキョンキョンの舎弟だったと自称する強面の男性がわんさかいるという伝説がある。

その後、事務所に何も言わず髪を刈り上げショートにし、挑んだ5作目のシングル「まっ赤な女の子」で大ブレイク。早くから高い自己プロデュース能力の片鱗を見せる。

1987年には当時人気絶頂だったチェッカーズの藤井フミヤと熱愛。フミヤに会いに行くのにカバンの中に入るなどの情熱的なところを見せている。その後は弟の尚之とも恋愛。「好きになったら血縁なんて関係ない」と、しがらみに縛られないところもこの頃から。

1995年に俳優・永瀬正敏と結婚。この時も結婚披露宴はせず、結婚発表会見を行ったのみ。披露宴も結婚式も新婚旅行もなしで、2人のプライベートショットの写真を見せるという方法をとった理由について、キョンキョンは「形式的なことはやりません」と語っており、ここでも確固たる信念に基づくやりかたを実行している。

2004年に永瀬と離婚し、2006年の40歳の時には、KATTUNでデビューしたての亀梨和也20歳と熱愛。しかも亀梨のほうがメロメロというのが世に伝わり、改めてキョンキョンの魅力の強さを知らしめ、世間を感心させている。