「在りし日の栗原弘行氏(2012年9月)」
尖閣諸島の地主一族代表で、会社役員の栗原弘行氏が5月23日、さいたま市見沼区の病院で亡くなった。享年67歳。肺がんが原因だったと産経新聞では報道されたが、肺気腫だったという話もある。後妻の家族を中心にひっそりと葬式が行われ、5月26日の午前10時に火葬された。
不思議なのは、尖閣地権者の兄A氏が弘行氏の葬式を取り仕切らなかったことだ。A氏はこれまで栗原家の当主として母親や別の弟の葬式を取り仕切った。それどころか、尖閣を開拓した古賀家の喪主までつとめたことがあるというのにだ。
栗原弘行氏は一昨年、メディアにたくさん露出した。尖閣諸島の地主一族代表として、島の重要性や交渉の内実などについて、コメントを出し続けた。弘行氏の意見は地主である兄A氏の意見として世間的からは受け止められた。少なくとも筆者は、交渉を担う兄の代わりに弟の弘行氏が代弁しているのだろうと受け取っていた。
ところが国有化後の9月末、弘行氏の元へ筆者がインタビューを行ったとき、兄弟の意見が必ずしも一枚岩ではないということがわかってきた。インタビュー前のレクチャーで秘書の下沖和幸氏が次のように語っている。
「弘行会長はA氏と音信がありません。しかし以前は一緒に仕事をしていましたし、尖閣に何度も行っています。長年の付き合いから『兄だったらどう考えるか』ということを推測してお話しします」
単に忙しくて音信がないのか、それとも仲が悪いのか。どちらかはともかく、緊密に連携していないということがそのときわかった。
その後、弘行氏の先妻の娘、栗原青皇さんから兄弟仲についての内実を教わった。
「90年代後半に私が結婚したとき、おじ(A氏)が祝ってくれたんですが、その場にパパはいなかったんです。そのときですね。おじ(A氏)がパパとの縁を切ったってわかったのは。2005年、二番目のおじ(弘行氏は三男)の葬式のとき、パパは参列どころか焼香すら断られたんです。2007年祖母(A氏・弘行氏の母)の葬式のときもそうです」
A氏が弘行氏と縁を切ったのには理由があった。派手好きな弘行氏は放漫経営を繰り返した。会社を作っては失敗、作っては失敗を繰り返したのだ。結婚式場を経営していたときは、社員5人全員にベンツを買い与えたり、クルーザーを買って投資させたり。その一方で、自宅の家賃を滞納することもしばしばだった。最初こそ借金の肩代わりをしていたA氏だったが、そのうち愛想を尽かし、弘行氏を見捨てるに至った。弘行氏名義だった尖閣の二島(南・北小島)も取り上げた。そして、弘行氏の元には億単位といわれる借金だけが残った。
そんな弘行氏だけに闘病生活は厳しいものとなった。今年の1月下旬、体調を崩して入院するも部屋代を払えず退院させられている。2月には家賃の滞納を理由に、自身が使っていた会社事務所からの立ち退きを強いられた。そして4月には後妻に離婚されている。最期こそ病院で迎えることが出来たが、そこは個室ではなく大部屋であった。
ご冥福をお祈りします。
Written Photo by 石原一馬
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