ノートルダム大聖堂火災報道に見る日本人の心の欠如 燃えたのは”資産価値”ではなく「心の拠り所」
宗教というと多くの日本人はアレルギーのように拒絶します。けれども宗教心とは、特定の信仰を持つことでなく、人間が誰でも持つ「心」のよりどころ話なのです。
燃えてしまった世界遺産の金銭的価値がいくらだとか、有名な文化財が焼けたとまでしか言えない日本人は、無宗教の名の下に、心までをも失ってしまったのではないかと感じています。
ノートルダムとはフランス語で「われらが貴婦人」と訳されます。すなわち、聖母マリアのことであり、母なる聖堂なのです。
極端にも聞こえるかもしれませんが、母を失ったといっても過言ではありません。
文化財や世界遺産に指定されているから貴重なのではなく、過去から現在まで、多くの人の心と技術の積み重ねでここまで残っているから貴重なのです。
日本人は元来、無宗教のように見えて汎神教だと私は思っています。今こそその心を取り戻して、悲しむ遠い友人に寄り添う時なのだと思います。(文◎Mr.Tsubaking)