女子マラソン指導者・故小出義雄氏が駆け抜けた「早い者勝ち」の時代|高部雨市
女子マラソンの名伯楽、偉大な指導者とメディアが謳う小出義雄が、2019年4月24日死去。享年、80歳だった。
豪快な笑顔と繊細な指導で「誉めて伸ばす」あるいは「非常識が新しい時代をつくる」などの小出節がメディアから喧伝された。
小出義雄の功績とは何だろうか。
小出の言うところの「早い者勝ち」の論理が、1984年のロサンゼルス五輪で初めて正式種目となった、発展途上の女子マラソンに、一定の成果をもたらしたことは事実である。
小出は、自著の中でこう書いている。
何であれ競争は「早い者勝ち」が原則である。誰もまだ手をつけないうちに、いち早く知識を蓄え、しっかりと準備をしておけば、必ず勝てるのだ。(中略)
私が女子マラソンの監督をするようになったのも、実は、女子ならまだ歴史が浅いから、「早い者勝ち」でいけるチャンスがあると思ったからだ。
男子はもうすでに相当レベルが上がってしまっているから、オリンピックで金メダルを取るのはなかなか難しいだろう。
だが、女子だったらまだ金メダルを取れる可能性は十分にある。なにしろ、私には、女子の練習の仕方を知り尽くしているという自信があった。
その中で1992年バルセロナ、96年アトランタの両五輪で銀、銅メダルの有森裕子、97年のアテネ世界陸上で金メダルの鈴木博美、そして、2000年シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子と、女子マラソン界に存在感を示した。この瞬間、小出の言う「早い者勝ち」の論理はまさに成就したかに見えたが、小出の欲望は膨張するのだった。
そして、小出の欲望を具現化し絶対化する選手、それが高橋尚子だった。