女子マラソン指導者・故小出義雄氏が駆け抜けた「早い者勝ち」の時代|高部雨市
強い選手ほど細心で、実直で、勤勉である。指導者は緊張し過ぎたり、やり過ぎたり、故障を起こしたりしないように、注意を払うことが求められる。ハードトレーニングとオーバートレーニングの境界を見極めてこそ、真の指導者だといえるのだ。
高橋は2004年9月、右足首を骨折、それ以前にも2001年に虚血性大腸炎で入院、2002年には肋骨の疲労骨折と故障が続いていた。2002年、30歳の頃には「朝起きて足が痛くないことを確認してほっとする。あと2年(アテネ五輪まで)は体がもってほしい」と吐露し、自らの肉体に不安を感じ始めていたという。
高橋が欠場した、アテネ五輪では野口みずきが優勝、日本女子マラソンは二連覇を果たすのだが、野口もまた高橋と同じ過ちを犯すのだった。
高橋尚子、野口みずき、二人の金メダリスト以降、日本の女子マラソン界には練習量がすべてとする思考が席巻する、それはまた、多くの故障者をつくり、走ることをやめざるを得ない状況に追い込まれ選手を生む。過度な練習量信仰が選手を潰したのである。
そして今日、日本女子マラソンは、男子マラソン同様の低迷期にある。その根本的問題点は、スピードである。今日のスピードマラソンに不可欠な速い速度でのトレーニング、変化に富んだファルトレク方式のスピードトレーニングによってこそ、将来に繋がるランナーが生まれるのだ。
女子10,000メートルの日本記録が、2002年、渋井陽子の30分49秒89、このことをみても、いかに「非常識が古い時代を牽引してきたか」が理解できる。(文◎高部雨市 /敬称略)