アメリカ進出に成功した野茂英雄投手がもたらしたもの 国内スポーツメディアの問題点 日本選手だけにフォーカスし過ぎ|中川淳一郎

画像はビデオ『NOMO!』より

平成の野球を考えるにあたり、重要だったのは野茂英雄の渡米である。今のように日本人選手が続々と海を渡る先鞭をつけたという意味で実にエポックメイキングだった。1980年代前半のプロ野球選手名鑑を見ると日本ハムに村上正則という投手がいて、これまでの経歴として「SFジャイアンツ」とある。

当時は「サンフランシスコ・ジャイアンツ」というMLBのチームがあるのを知らなかったため、「SF(サイエンス・フィクション)」なのかな、と奇異に思っていた。この村上氏がアジア人初のメジャーリーガーだったわけだが、野茂はこの約30年後に近鉄から任意引退をし、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。

当初、日本のメディアの中には「我がままだ」や「通用しない」などと酷評する向きもあった。だが、野茂はすぐさま大活躍をし、オールスターゲームでは先発の大役を任された。前年ストがあったMLBは暗い雰囲気で開幕したが、野茂の活躍が救いになった、といった論評もあった。

あの「トルネイド投法」はアメリカ人も真似し、「野茂が投げれば誰も得点できない」といった歌詞の歌も登場し、これは日本語にも訳された。この歌のPVでは、多くのアメリカ人が一斉にトルネイド投法をマネしていた。

サッカーでいえば、野茂の前年に三浦知良がセリエA・ジェノアに移籍し、大きな話題となったが、イタリア屈指のDF・フランコ・バレージと激突して1ヶ月の戦線離脱を余儀なくされ、その後も目立った活躍はできなかった。

そんな翌年の野茂の大活躍である。そして、この活躍がもたらしたものが何かを述べると、珍妙な報道である。

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