平成は携帯・スマホの時代に 「会えない恐怖」を知っている民がこの世界からいなくなった|中川淳一郎・連載『俺の平成史』
この考えを古臭いとか堅苦しいと言うのは全然構わないが、「一旦日時場所を決めたんだったらその通りに来いよ」としか私のような46歳、上記のような「約束は大切です!」という時間を過ごした人間は思えない。
今やありとあらゆるスケジュール伝達ツールはあるものの、平成初期~スマホ登場までもう少し「約束」の重みは重かった。何しろ「会えない」恐れがあったのだから。
だからこそ、きちんと定時に駅前とかハチ公前にやってきた人々は「本当に来てくれたんだ!」と思ったし、飲み会も楽しかった。今も楽しいが、何度か「デートの約束がキチンと伝わっておらず、会えなかった」という経験をした者としては、こうして人がキチンと定刻の時間に来たことが嬉しかった。
デートの約束が合わない、については、たとえば「南口」と「北口」を間違えたとか、「武蔵小金井」と「東小金井」を間違えた、といった程度の話で発生していた。それから数年経て「あの時来てくれなかったから“脈ナシ”だと思われたの!」「えっ、オレこそあなたが来なかったから“フラれた”と思ったのに!」みたいな会話になることも。
こうして懐かしい話を書いたものの、言いたいことは一つだけ。
「連絡は取れるからといって、安易に約束するな。そして、約束したのならばそれは遵守しろ」だ。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)
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