コロナ禍で不平不満ばかりの世の片隅…平時から誰にも助けてもらえない“障害者” 50歳過ぎで生活保護の存在を知る|裁判傍聴
彼の出身は岩手県です。そこで「生活保護で暮らしていた」という両親の元で産まれました。
彼は幼少時に左目を失明しています。右目は見えるものの極端に視野が狭く、日常生活を健常者同様に送ることには困難を伴いました。ただでさえ厳しい生活を送っていた両親はそんな息子をもて余しました。そして彼は小学校に上がる年齢で「家から遠く離れた盲学校」に入れられ寄宿生活をすることになりました。両親は年に1回しか面会に来なかったそうです。
簡単に言ってしまえば、彼は棄てられたのです。
その両親も、彼が小学生のころに父親は事故で死亡し、中学校に入学するころに母親も病気で亡くなっています。
こうして彼はまだ10代前半の頃に完全に天涯孤独の身となりました。
中学卒業後、彼は岩手県内の飯場などで働きはじめました。進学などということは考えられませんでした。しかし、ただでさえ仕事が少ない地方でのこと。障害を抱える彼はなかなか仕事にありつくことはできませんでした。
「ここにいてもどうしようもない」
彼は友人に誘われたのをきっかけに上京を決意しました。東京に行けば何とかなる、そう思っていました。ですが、状況は何も変わりませんでした。相変わらず彼が就けるような仕事は日雇いの肉体労働が稀にあるだけです。これで生活などできるはずもありません。そして頼れるような身内は誰一人としていません。
彼は新宿中央公園にブルーシートを張ってホームレス生活をするようになりました。
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