コロナ禍で不平不満ばかりの世の片隅…平時から誰にも助けてもらえない“障害者” 50歳過ぎで生活保護の存在を知る|裁判傍聴

生活保護を受け、屋根の下での生活を送れるようになったのは平成21年からのことです。50歳を過ぎてようやく「健康で文化的な最低限度の生活」を手に入れたのです。

それまでに支援を受けることはありませんでした。彼には前科や前歴が多数あります。いずれも万引きなどの財産犯です。原因は言うまでもなく極度の貧困です。逮捕は行政が彼の生活に介入し助ける機会になり得ます。しかし、そのチャンスは平成21年まで活かされませんでした。

今後の生活について彼は、

「年齢もあるし身体もあちこち悪いし目も見えないし、働けって言われてももう無理は効かないですよ。でも、ずっと独りでやってきたしこれからも独りでやってかなきゃ」

と話していました。

彼はずっと独りでした。家族からも国からも見棄てられていました。もう彼には助けを求めるという発想さえないように思えます。たとえ「助けてくれ」と声をかぎりに叫んでも、そのか細い小さな絶叫に耳を傾けてくれる誰かと彼は出会ったことがないのです。

今回の犯行は酒に酔った上でのものです。彼が何を想って酒を「ベロベロに」なるまで呑んでいたのかはわかりませんが、その胸中には底の見えない程の虚無が拡がっていた気がします。

今、新型コロナウイルスの流行によって社会全体が大変な混乱をきたしています。政府、民間を問わず誰もがその脅威への対応を迫られています。

しかし、平時でさえその存在を黙殺されていた人たちもいます。この混乱の中で彼らの声はよりいっそう聞こえ難いものになってしまうかもしれません。だからこそ、慎重に丁寧に、彼らの声に耳を傾けることが求められています。

見棄てられてもいい人間など、この世界には絶対にいません。(取材・文◎鈴木孔明)

 

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