自称天才編集者・箕輪厚介氏だけではない 1990年代編集者は「俺たちが文化を作ってきた」感があった|中川淳一郎
平成の時代を振り返る当連載、編集部より「終始、外注の女性ライターに対して上から目線・ため口 こういった編集者って平成、1990年代に結構いませんでしたか?」ということで『私が出会ったため口、外注に上から目線編集者』というお題をもらった。
1990年代に限らず、編集者に限らず下請けというものはそういった扱いをされがちだが、「雑誌黄金時代」ともいえた1990年代はその傾向が強かったといった感覚は私もあった。私がライターになったのは2001年だったが、1997年~2001年までは広告会社の社員だった私は編集者という職種の人は「崇めるべき存在」といった扱いだった。
何しろ、雑誌編集者こそ時代を作っていると言われてきたのだ。編集者と会ってもこんなことを言われた。
「結局テレビなんてもんは、オレ達が作った企画を基に企画を作ってるだけなんだよ。おたくら広告代理店もウチらに取り上げてもらいたいからこうして今日、来たんでしょ?」
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