自称天才編集者・箕輪厚介氏だけではない 1990年代編集者は「俺たちが文化を作ってきた」感があった|中川淳一郎

実際、我々も編集者と飲むこともあったが、常に彼らはライターを周囲にはべらし、我々に対してエラソーだった。当然会計はこちらもちで、ある時など「副編集長」のオッサンが我々広告会社の若手に絡み始め「お前の企画はなってねぇ」「お前はつまらねぇ」などと言い、会がお開きになった後に渋谷の街で「次行くぞ!」と二人でどこかに行った。その後、なぜか私の同僚はこの「副編集長」とやらから路上でボコボコにぶん殴られてしまった。その後も朝まで飲みに付き合わされたという。それだけ当時の編集者はエラソーだったのである。

橘玲氏の著書『80’s エイティーズ—ある80年代の物語』は、80年代の編集者を描いているが、当時のマガジンハウスが羽振りがよく、下請けとして仕事をした橘氏らはギャラを好きなように請求していいと言われ、あり得ない高い金額を書いた。するとアッサリと通り、これだったら1桁多く書いても良かったのでは、と仲間内で話す記述がある。

また、同社の名物編集者はアフリカで象を1頭買い、その領収書が通ったという伝説もある。真相についてはマサイ族が領収書を切ってくれなかったため云々などとされるが、当時の雑誌編集者は「オレ達が文化を牽引している」的な側面があった。

そんな中、ライターである。現在50代後半のライターはいちばん「おいしい」思いをしてきた面がある。「カルチャー系のセミナーに呼ばれて1回50万円もらった。全国各地で同じ話をするだけで大金をもらえた」といった話があるが、雑誌黄金期以降にライターになった私はそんなおいしい思いは一度もしたことがない。

むしろ2000年代以降の編集者・ライター関係の方が上下関係は強いのでは、とも感じている。特に男女で、だ。私の場合編集者もやればライターもやる、という立場だし、常にフリーであったため「社員よりエラくない」という立場であり続けた。エラソーにしてライターから仕事をやめられてしまうと途端に下請け編集者としては発注主に顔向けできぬため、基本的にライターには「感謝する」というスタンスでいた。

ただし、カネにガタガタ言ってきたり、経費の使い方があまりにもセコいライターは即切る、といった対応は取ってきた。そういう馬鹿とは一緒に仕事ができない。

という私の置かれた状況と時代背景を踏まえたうえで、これまでに聞いてきた「編集者・ライターあるある」を箇条書きにしてみる。大体文字面を見れば想像できるだろう。基本的に編集者は「男」で、ライターは「若い男女、特に女性に対しての扱いがぞんざい」といったところがある。

あ、その前に自分のライター時代のことをいえば、「朝の3時だろうが電話に出るのは当たり前。打ち合わせを『今から会社来れる?』と言われて『はい』と言うしかない」というものや、

 

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